化け物

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化け物

 もー、くっだらない。  面白いったらないよね。  どっちにしろ、僕の話題でもちきりってこと。  愉快、愉快。  しばらくは、ね。  軽い足取りで廊下をトン、トン、と音頭をつけて進む。  部屋に着くと襖をそうっと開けて、後ろ手で閉め、敷きっぱなしだった布団の上にうつ伏せに倒れこむ。  ぽっかりと胸のあたりが虚ろだ。  こんなとこ、誰かに見つかるなんて冗談じゃない。  でも、我慢ができず、顔を綿に埋めて文句を言った。 「薄情だな。別れの挨拶くらいして行って欲しかったよ」  す、っと、閉めたばかりの襖が開く音がする。  ちょっと、もう、誰だよ。  声かけてからあけてよ。  どうでもいいけど、顔みないで。  はやくどっか行って。  敷布団に吸い込まれる文句、文句、文句。  だってもう動きたくない。  動ける理由が、ないんだから。  足音と、畳が軋んで伝わる振動。  布団の波の間から、目の端っこだけで影を捉える。  文机の前に置かれた、座布団の上からこちらへ向かって、長い影が被さっている。 「……どちら、様?」 「世話になった」  どすん、と胡坐をかいたらしいその誰かの大きな膝小僧。  そこに置かれた拳に巻かれた包帯の、へたくそに曲がっている結び目。  僕は、知ってる。  そろりと上半身を起こし、視界を塞いでいた髪をかき上げる。  自分のそこには、薄くなった瘡蓋の痕。  無骨で、不愛想な様子の彼の額には斜めについた刀傷。  もう、血の色はない。 「たぬは、本当に化けられたんだね…」 「礼がしたい」 「……お礼?僕は…別に、…ん、っ」 「夜菊、…」  たった片膝の一歩で、こちらに身体全てが届いてしまう。  頬の横に筋肉質な腕がドン、と沈むと、もう片方の手でもって世界を反転させられてしまう。  気がづけば、そのまま仰向けに抑え込まれてしまっていた。 「…な、に?」 「…そんな顔、するな」  低くて、お腹に響く声に、体がじんと痺れる。  おかしい、こんなの。  この人は!誰なの!あるわけない! 「やだ、ちょっと…!やめて!」  自分を押し倒す赤い着物を纏う男の、逞しい胸に両手をつく。  自分を見据える鋭い瞳は、まるで ー… 。  違う、きっとからかわれているだけで、こいつは人間で、たぬきなわけない。  でも、どうしてだろう、こんな、指先のてっぺんまで、じんじんとして、切なくなるなんて。  ー 結局、お前もそうなの。  哀しいのに、愛しい。  指先で肌を撫でるけれど、ふさふさしてない。  整った顔立ちに似合わない分厚い唇が、艶っぽい。  まるで人ではないように、奇跡みたいに綺麗だけれど、こんな動物はいない。  だよね。  当たり前だ。  でも何このがっかり感。  ああもう。  好きだよ、きっと今、人のようなお前のことも好きになったのだろうけど。  ねえ、たぬきも、ボクにこんなことがしたかったの。  せっかく、同じ姿なのに、これがしたいの。 「…!…夜菊、なぜ、泣く。いつも、嬉しそうに笑ってたの、見ていたから、俺は」 「…あ!あんなの、っ…」  いつも嬉しそうに笑っていたのが、客に抱かれている間のお芝居であったこと。  そんなこと、動物にわかるわけないってこと。  もはや、ただの動物ではなかったことは知ったけれど。  でも、狐であるたぬきにはわからなかったんだ。  
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