生きてる。

1/1
前へ
/32ページ
次へ

生きてる。

 今までの醜態を見られてた。  勘違いさせてしまうほどに、色狂いに見えたのだろうか。  そんなに僕は、抱かれて、嬉しそうにしていると思われていたのか。 「あんなの、違うよ…」  たぬきにはそう見えた、それをただバカ正直に口にしただけなのはわかっているのに、頬に熱がたまって行く。  眼尻が痛い。  涙の塩気が、かじかんだ肌をいじめている。  たぬきは本当に、助けたお礼にボクを笑顔にしたいと思っただけなのだろう。  バカだな。バカ…本当にバカ。むかつく。  唇を震わせる僕を見て戸惑って、どうあやしたら良いものかと考えあぐねている。  もう一度、わかりやすく説明する。  たぬきには、きちんとわかって欲しいから。 「…あのね、抱かれて、笑ってたのは、嬉しかったからじゃないんだよ…」  あれが僕の仕事だからだよ、と。  たぬきは、やっぱりあの狐だったんだね。  なんだか笑ってしまう。  見た目が人間に変わっただけで、たぬきはたぬきだった。  変わって、ない。 「戻ってきてくれてありがと、それだけで嬉しいよ。…殺しに、来たんじゃなかったんだね」  笑いたい。  微笑んでいたい。  だって、たぬきはボクを笑わせたかったんでしょう。  それなのに、涙がこぼれてしまう。  どうして。とまらない。こんなの僕らしくない。でも。 「寂しかったよ…」 「…悪かった…ただいま、夜菊」 「ばか、もう…たぬ、なんで勝手に……」  僕、こんなところ本当は嫌いなんだ。  たぬきがいたから、笑っていられただけなんだよ。  ねえ、ずっとたぬきと一緒にいたいよ。 「もうどこにも行かぬから、なあ、聞いているか」 「…僕に、黙って、消えないで…っ」 「ああ、わかった。もう置いて行ったりしない」  ぎゅうっと強く抱きしめられる。  いつもは、僕がぎゅうっと、…そおっと、抱きしめる側だった。  壊れてしまいそうな、小さな動物の中身が大切で、力の込め方がわからなかった。  殺してしまうのが怖くて、潰してしまわないようにと気を付けて抱きしめていた。  もう、こんなに強く抱きしめてもいいんだね。  背中に爪をたてて強く強く縋り付くと、大きな手のひらが僕の後頭部に添えられ、首元に顔を押し付けてくる。  しゃくりあげながら、顔ごと顎の下に潜り込むと、汗のにおいがした。  あったかいな。  喉の血管が、ドクドクと脈打っている。  そこに触れている、僕の瞼から涙が次々とあふれ出る。  生きてる。  僕も、生きてたんだね。  こんなに、ちゃんと、生きてる。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加