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 下を見ると、沓脱石に草履がなかったので、着物の裾を捲り上げて帯に挟みこみ、裸足のままぴょんと土の上に飛び降りた。  地面を伝って人の気配が濃くなったことに気づいたのか、ピクリと毛玉が動く。  やはり、生き物だ。  猫だとばかり思っていたけれど、猫にしては大きい。  しなやかな体をぎゅっと丸めている、筆のような形の尾先は所々白、殆どが灰色。 「……狐じゃん」  ここは山中ではないし、そんなに田舎でもないんだけど。  珍しいは珍しいけど、いるにはいるね。  たまに見かける人がいるらしいとは聞いていた。  けれど、だいたいすぐに捕まって追い出されてしまう。  狐は、時々は神様だからね、殺されたりはしないんだ。  ただ、そう言うことに特にこだわりを持たない者が見つければ、殺すんだよね。  運が良かったのかな、それとも僕なんかに見つかって、運が悪かったのかも。 「…怪我してるね。僕とおんなじ」  化粧と眉下で切り揃えられた前髪で隠しているけれど、額の端のあたりが腫れて熱を持っている。  このコには、額に切りつけられたような傷がある。  血が出ていて、それが目の周りで固まってしまっているようで、時折首をフルフルと振って除けようとしている。 「可愛いね」  噛まれないかな、と思いつつも、噛まれてもいいか、と手を伸ばしてそっと触れる。  ちくちくとした毛が、手のひらでざわりと震えた。  さわさわと動かすと、目を細めたような気がする。  まっすぐな目をしてる。  お日様のような目。  ううん、…月かな、この目は。  まんまるの中が、鋭いの。  ああ、なんて、きれいなんだろう。 「おいでよ。寒いでしょ」  抱き上げるとさすがに暴れた。  そうだよね、野生です!って感じだもん。  きっとこの怪我だって人間にやられたんだろうし。  この切れ方は、どう見たって刀傷だし。  僕、こういうの見たことあるよ。  きっと、何度も。 「いてて…、良く見たら、傷だらけじゃないか」  額以外にも、体中に傷があった。  店主にバレたら面倒なので、羽織っていた半纏を脱ぐとその中にくるんで抱き込む。  猫よりは大きいけれど、毛の下に隠されたその身はひどく痩せ細っており、軽くて心配になるほどだ。
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