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一話
ようこそおいでませ、此処は驚異の部屋。貴方は記念すべき××××人目のお客様です。
なんと、ご存じないとは心外!
ごらんなさいな、此処の名前の由来となった展示品の数々を。珊瑚や石英を加工した装身具、実在・架空取り交ぜた動植物の標本やミイラに巨大な巻貝、オウムガイを削った杯にダチョウの卵、貴重な錬金術の文献に異国の武具、機械仕掛けの形見函、はてはキリストの襁褓と噂される聖遺物に至るまで、此処に展示されているのは人類の叡智の結晶。
此処は次元の間に存在する場所。
時折お客様が迷い込みます。
偶然か必然か、驚異の部屋に至った彼等彼女等をもてなすのが僕の役目。
自己紹介がまだでしたね。学芸員とでもお呼びください。
……おやおや、これは珍しい。人間以外のお客様がいらっしゃるのは久しぶりです。
そりゃあわかりますよその瞳を見れば、虹色の光沢を帯びて底知れず澄むオパールの瞳……大変神秘的で美しい。人にはありうべからず異形の美しさです。
流れる絹の髪も雪花石膏の肌も、貴方は無垢なる白の結晶だ。極光の瞳以外は贖罪の如く色を失っている。
貴方は精霊さんですね。
ジンとはアラブ世界において精霊や妖怪、魔人など、超自然的な生き物の一群をさす総称です。
彼等は肉眼に見えません。普段は霊体の状態でさまよっています。その姿は変幻自在、様々な動物や怪物に化け、知力・体力・魔力全てにおいて人間を凌駕します。
余談ながら人間に善人と悪人がいるように、ジンも善なるもの悪なるものに大別できます。
ジンに憑かれた人間はマジュヌーンと呼ばれ、千里眼や予知の権能を得る、と巷では信じられておりますね。
善きジンと契りを結んだ人間は民を導く聖者として祭り上げられ、悪しきジンに魅入られた者は気が狂い地獄に堕ちる。それが世の理です。
さて、ジンも悪魔と同じく階級や序列が敷かれている。
上から順番にマーリド、イフリート、シャイターン、ジン、ジャーン。貴方は……これは驚きました、最高位のマーリドじゃございませんか!こんなむさ苦しい場所にようこそお越しくださいました、丁重におもてなししなければいけません。
どうぞ遠慮なく宝物をご覧ください。
そちらにあるのはただ一人の為に描かれた異国の星空の絵、光る砂を画布に塗してあります。
横にあるのは世にも類まれなる魂を宿すヴァイオリン、弓を手にせずともほら、ひとりでに音楽を奏でるんです。美しい調べでしょ?
ぷはっ、なんですかその顔!不老不死のジンだというのに、今の貴方ときたら目をきらきらさせて、小さい子供みたいですねえ。「綺麗だねえ!」「すごいねえ!」って、さっきから感嘆符の大盤振る舞いじゃないですか。
ええ、僕らには寿命など意味を成さない。見た目は幼くとも精神は老成している。
永遠を生きる者の逃れ得ぬさだめとして、時間の経過に伴い感受性は鈍っていく。
僕だって見た目通りの年齢じゃございません。
貴方はこれまで来られた方々とちょっと違いますね。今までお相手したお客様はひねくれてましたからねえ、口も悪けりゃ手癖も悪い。身の上を考慮すれば同情の余地はございますが。
貴方はなんていうか……天然?鈍感?純真にして無垢?見た目は成人なのに、言動にまるで屈託を感じません。内なる魂の輝きが眩しくて眩しくて、僕のような矮小な輩など、こうして向き合っているだけで目が潰れてしまいそうです。
とんでもない、馬鹿にしてるんじゃございません!むしろその反対、得難い資質だと褒めてるんです。お臍を曲げないでください、ね?
とはいえ、此処に呼ばれたのには必ず理由があるはずだ。
とぼけたって無駄です。聞かせてください精霊さん、貴方は一体どんな大それた罪をおかしたんですか?
……驚いた顔して、何をご覧になって……ああそれ?立派なシャムシールでしょ。
人よんで強欲のマルズーク。
シャムシールとは湾曲した片刃が特徴のアラブの刀剣。柄頭は小指側にカーブをしており、あぎとを開けて咆哮する、獅子の頭が彫られています。語源はライオンの爪。古代の王が当代随一の刀鍛冶に造らせた、純銀製の逸品です。
「強欲」なんて冠される位ですから、さぞかし欲深い暴君だったのでしょうね。
ああ駄目ですよさわっちゃあ!これはね、恐ろしい魔剣なんです。所有者に不幸をもたらす災いの運び手。
僕には関係ありませんけどねえ、人間が持ってたら命を吸われます。
驚異の部屋に蒐集されたのは幸運ですよ、地上にあったらどれだけ犠牲者が出た事か。
優雅に反った刃からおどろおどろしい妖気が漂っているでしょ、夥しい血を吸ってきた証拠です。
もっと聴きたい?
よろしい、話してさしあげます。
強欲のマルズークは古代の悪王が愛した妖剣。
奴隷上がりのその王は、およそあらゆる暴虐の限りを尽くし、数々の国を滅ぼしました。『千夜一夜物語』の暴君のモデルではないか、と後世に噂される位です。
おや、『千夜一夜物語』をご存知ありませんか?
国中から美しい乙女を駆り集め、初夜がすんだら斬り捨てた暴君のお話です。
賢き美姫・シェーラザードは、夜毎面白い話をする事で王の関心を繋ぎ止め、ただ一人生還を許されたのです。
この剣の持ち主もよく似た末路を辿りました。夜伽を命じた後宮の側女に討たれたんです。愚かですよねえ!
―否?
貴方は「彼」を知っている、と?
でしたらお聞かせ願いましょうか精霊さん。人間のお客様に水晶玉を使うんですが、僕と貴方の間柄でまどろっこしい小道具はいりませんね。
アレはいわば様式美、催眠術の振り子。人外は人外らしく、目と目で通じ合おうじゃありませんか。
さあ、僕の瞳を見て。
もっと近付いて。
ああ、本当に綺麗だ……此処が貴方の故郷ですか。青く晴れた空に輝く灼熱の太陽、乾いた風が吹き渡る無辺大の砂漠。うたかたの意識が覚醒した時、最初にあった光景だ。
精霊さん、貴方には片割れがいた。
人でいえば双子に近い、同胞ともいえる存在が。
貴方は人間と違い、生まれた時からその姿でした。貴方の片割れもまた、最初から完璧な姿で存在していた。
ただ色だけが、本質を反転させたように異なる。
くるぶしまで伸びた黒髪は夜の具現、なめらかな褐色の肌。瞳は貴方と同じ、光の加減で色を変えるオパールです。
名前はジブリール。
意味は完璧なもの、全てを備えた超越者。
貴方たちは同時に世界に生じました。
今を遡ること幾星霜の昔、月が玲瓏と輝く夜。
砂丘の砂が人の似姿を形作り、それが風に吹きさらわれ、白い肌が暴かれます。
正面には美しい男がおり、貴方の頬を包み、愛しげに微笑んでこういいました。
「目覚めたか、おれの運命」
「きみが、ぼくの、運命?」
全裸で座り込む貴方を、青い月光が冴え冴え照らします。ジブリールもまた裸で、黒く長い髪が隆と屹立する腹筋を経、黄金律の肉体を伝っていました。
貴方が見守る前で肉感的な唇が開き、並の人間ならそれだけで脳髄が痺れかねない、豊饒な声を紡ぎます。
「俺たちは共に生まれた番い、二人で一柱の精霊。永遠に共に在り、お前を守ると誓うぞ」
精霊の言葉は言霊として作用します。
厚い手に頬を包まれた貴方は、彼の言葉を疑うことなく、無邪気に微笑んで返しました。
「よろしく、僕の運命」
貴方とジブリールは表裏一体の存在。
見た目が正反対なら中身も真逆。
どちらも優れた容姿を持っていましたが、男性美の極致たる体格に恵まれたジブリールと違い、貴方は線が細く中性的な風貌を備えていました。
守ってあげたくなるように儚げ、とでも言い換えましょうか。
貴方たちが番いとして生まれ落ちたのは偉大なる神様の思し召し、あるいは皮肉な偶然のなせるわざ。
いずれにせよ、貴方のそばには常にジブリールがいました。
ジブリールは貴方の守護者を自認し、あらゆる苦難を遠ざけることを誉れとしました。
貴方の歩む道に大岩があれば魔法で打ち砕き、貴方が「疲れた」と嘆けば両腕に抱えて浮遊し、「喉が渇いた」とねだれば手のひらから無限に湧く水を与え……
いやはや、少々過保護と申し上げざるえません。
大前提として貴方はマーリド、最高位の精霊。霊体に化ければ大岩など簡単に抜けられるし、その身はもとより飲み食いを必要としません。「疲れた」の愚痴は戯れ。
だというのに、ジブリールは貴方のわがままを聞き届けました。
霊体の方がずっと楽なのに、肌で風を感じ、耳で鳥の囀りを聴き、舌で水の甘味を感じたいとごねる貴方に合わせ、人の姿をとっていたのが証拠です。
最愛の片割れに尽くすことが、まさしくジブリールの生き甲斐だったのです。
それが間違いだったのかもしれません。
貴方たちは対の存在として生まれ落ち、お互い以外を必要としなかった。
故にジブリールは貴方を溺愛し、依存し、貴方以外の存在をことごとく嫌悪したのです。
生まれてから数百年、貴方とジブリールは二人で流離しました。
変化に乏しい旅路でした。
貴方たちの尺度は人間と異なり、砂漠の地形もまた大きく変わることはありません。
ですから最初、貴方はジブリールの殺戮に気付きませんでした。
悲鳴が上がりました。
声の出所に駆け付けてみると、ターバンを巻いた男やヒジャーブを纏った女が倒れていました。
傍らにはジブリールが立ち、駱駝から落ちた亡骸を見下しています。
貴方が見たことない傲慢で冷たい瞳でした。
「これは……」
「すまない。見苦しいものを目に入れてしまったな」
「人間?」
「駱駝に荷を積んで砂漠を渡る隊商だ」
存在は知っていましたが、実際目にするのは初めてです。貴方が見たのは砂漠に穿たれた人と駱駝の足跡だけ。
よく考えてみればおかしな話です、数百年も旅を続けて隊商とすれ違うことが一度もないなどありえません。
天然で鈍感な貴方も、漸くその事実に思い至りました。
「君が殺していたのか」
「そうだ」
釈明は困難と判断したか、ジブリールはあっさり肯定し、両手を広げて死屍累々の惨状を示します。
「どうして?」
「人間は愚かだからだ」
不思議そうな貴方をさりげなく招き寄せ、隊商の積み荷から取り上げたラピスラズリの耳飾りを、白いおくれ毛が縁取る耳たぶに吊りました。
「思ったとおりよく似合うぞ」
「答えを聞いてないよ」
「連中をほうっておいたらお前の所に至る。蟻地獄の観察を邪魔されては興ざめじゃないか」
ジブリールの言うとおり、隊商は直進していました。いずれ貴方のもとに辿り着いたのは自明の理。
「駱駝の蹄が蟻地獄を蹴立てても人間は無関心だ、迂回する知恵すらない。お前の娯楽を妨げる連中は万死に値する、少しでもお前を煩わせる可能性があるなら全力で排除する以外に選択肢はなかろうよ」
「なるほど。人間って愚かだね」
当時の貴方にとって、ジブリールの言うことは絶対でした。
ジブリールと貴方は同時に生まれたものの、彼の方がより聡く、より賢く、より強かったのです。
ジブリールは唯一無二の片割れの守り手を自負し、風魔法を用いた情報収集を怠りません。
故にこそ、砂漠に散らばる村落で繰り広げられる人間模様を詳らかに見ることができた。
その心中は想像するしかございませんが、大精霊の目がとらえた市井の営みは、さぞや醜く卑しいものだったのでしょうね。
余談ながら貴方の力は片割れに大きく劣り、ジブリールが当たり前に行使する、千里眼の権能は覚醒しませんでした。
同じ事が何回、何十回、何百回と繰り返されました。
ジブリールの心を占めていたのは常に貴方のこと、貴方が笑ってくれればそれでいい。
他者の命など一切忖度しません。
砂漠を渡る隊商や旅人を殺戮したのは、最愛の片割れを下賤の目に触れさせたくないから……
即ち、歪んだ独占欲に尽きます。
最愛の片割れに美しい宝玉や服を贈りたい、ただそれだけの理由で隊商を襲い積み荷を略奪するジブリールの振る舞いは、貴方の心に疑問を播種しました。
「ねえジブリール、今度は何故殺したの」
「お前の視界を遮ったからだ」
「この前と同じ理由だね」
「不満か」
「前々回は確か……」
「お前の足裏を穢した罪だ」
「駱駝の糞を踏んだ時だね。アレは僕が空飛ぶ鳥に注意を奪われたからで、彼等のせいとは言えないよ」
「いや、連中のせいだ」
「その前は?旅人の野営を襲っただろ」
「お前の耳を穢した罪だ」
「風に乗って届いた歌と演奏の事?」
「卑しい人間の音楽に耳を傾ける価値などあるものか」
「話してみたい」
「人間と?駄目だ」
「何故?随分長く旅してるけど、人の村や国に立ち寄った事はないじゃないか。隊商の積み荷を見たかい、面白いものが沢山あったよ。色の付いた石の他にも乾燥させた果実や草、弦を張った木の筒も。アレは楽器かな、弦を爪弾いて音を出すんだ」
「欲しいなら好きなだけ盗ればいい」
「弾き方がわからない」
にべもない返事にむくれ、爪先で砂を蹴ります。貴方はジブリールとの二人旅に倦み、新しい刺激を求めていました。
「劣等種に心を寄せるな。人間は醜い。同胞の間で立場の上下を作り、犯し殺し憎み合い、少しも進歩しない蛮族だぞ」
「精霊にも序列はあるじゃないか」
「それは世界が定めた掟だ。人間は自然の摂理に背いて同胞を貶める」
「難しくてよくわからない」
「人と交われば毒される。お前はそのままでいいんだ」
「でも」
「でも?」
「退屈だよ」
ジブリールの顔から表情が消え、ほんの僅か声が低まります。
「俺がいるのにか」
貴方は俯いて沈黙しました。
人間は愚かだとジブリールは説きます。
本当にそうでしょうか?
彼の言うことは絶対でしょうか?
正直な所、数百年も旅していれば飽きが来ます。来る日も来る日も砂漠をさまよい、風が描く砂紋を数えるだけ。
ジブリールが誅した隊商には色んな人がいました。同じ姿かたちのものは一人たりともいません。
何十何百年たとうと不変の精霊と違い、深い年輪をかんばせに刻んだ年寄りやいとけない幼子がいました。
暴かれた積み荷には立派な刀剣の他にウードやラバーブなどの楽器もあり、どうやって奏でるのか気になります。
「人間は弱く愚かで浅ましい生き物だ。お前が心にかける値打ちはない」
あるいは洗脳。
あるいは刷り込み。
数百年を閲した白き精霊に自我が芽生えます、自立心が目覚めます。
貴方はジブリールの言い分に納得せず、人間への興味は日に日に膨れ上がり、ある時遂に袂を分かちました。
ごめんジブリール、と貴方は心の中で詫びました。ごめんジブリール、僕は生きてる人間に会いたい。だって蟻地獄の観察よりずっと面白そうなんだもの!
ジブリール最大の誤算は、貴方の好奇心を侮っていた事です。
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