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六話
顔をお上げなさい、白き舞い手のイルファーン。今漸く貴方がおかした罪がわかりました。
それは共食いの禁忌。
およそ人外の価値観において、精霊が人を殺すのは罪にあたりません。しかしねえ、共食いとなるとさすがに……悪魔だってしませんよ、そんなおぞましいこと。
話を戻しましょうか。
片割れを食らったら、その魂は完全になるのでしょうか?
貴方はジブリールを貪り食らい、地下迷宮からさまよい出て、千尋の谷底に至りました。
一帯には毒霧が立ち込め、夥しい骸骨が転がっています。
貴方は谷底に這い蹲り、生前の装備を頼りに、マルズークとおぼしき骸をあらためていきました。
三日後、刃が砕けたシャムシールを見付けました。
「マルズーク……」
見付かったのは剣だけです。
谷底を埋め尽くす骨のどれがマルズークか、結局最後までわかりませんでした。
「すまない。僕のせいだ」
まだやることが残っています。
いえ、新しい目標ができたと言えばいいのでしょうか。
マルズークの暗殺を仕組んだ黒幕はジブリールですが、実行犯はムスタファとジャイラ王。
貴方は崖を這い上がり、マルズークの形見のシャムシールをひっさげ、ジャイラの都に向かいました。
道中通り過ぎた砂漠の村々で不穏な噂を聞きました。ジャイラ王乱心の噂です。
なんでも砂漠中から若く美しい生娘を駆り集めて夜伽を命じ、初夜が済むと同時に斬り殺しているのだそうです。同じ年頃の娘がいるのに何故そんなことができるのか、貴方にはわかりません。
何日も歩き通して砂漠をこえ、ジャイラの城壁を臨む頃には足取りも覚束ず、今にも倒れそうな有様でした。
案の定、衛兵の槍に通せんぼされました。
「怪しい奴め。名を名乗れ」
「ジャイラの王様が夜伽に召し上げる娘をさがしているとお聞きしました」
ベールを捲り素顔をさらすや、衛兵が息を飲みます。
「私では役不足でしょうか」
ええ、貴方は変幻自在の精霊。その気になれば絶世の美女や美少女にも化けられます。
衛兵たちは貴方の美貌に腑抜け、世にも稀な美しさのオパールの瞳に魅入られ、こそこそ話し合いました。右の男が咳払いし、貴方の腰を指さします。
「それは何だ」
「折れた剣です」
「見ればわかる。何故そのようなものを」
「大事な人の形見なのです。捨てねば通していただけませんか。折れた剣で王様を討てるわけがございません」
堂々たる申し開きに押し切られ、衛兵たちが示し合わせて城門を開きます。
ジャイラの市街地は荒廃しきっていました。道端には乞食があふれ、あちらこちらで強盗・放火・殺人が起きています。
広場にはざんばら髪の生首が串刺しで晒され、野犬が死体のはらわたを食い散らかしていました。
ジブリールは約束を守らなかったのでしょうか?今の貴方にはどうでもいいことです。
衛兵に導かれて王宮に辿り着き、侍女に傅かれて湯浴みをし、体の裏表を隅々に至るまで浄めます。
ジャスミンの花を浮かべた大理石の湯殿に浸かり、背後に控える侍女に訪ねました。
「ねえ、ムスタファ将軍はご存知?この国の偉い軍人さん」
「懐かしい名前をご存知ですのね。元将軍なら謀反の疑いで処刑されましたよ」
「え?」
これはこれは、拍子抜けです。湯殿から上がった貴方は新しい衣装に着替え、無口な侍女に手を引かれ、粛々と柱廊を歩みました。途中ですれ違った大臣たちが、同情に値踏みをまぜた視線をよこします。
「アレが今宵の?」
「可哀想に、まだ小娘じゃないか」
「王が砂漠のはてまで狩り尽くしたせいで生娘は絶滅危惧種よ」
「きちんと確かめたのか」
「万一手違いがあっては首と胴が泣き別れですからな、侍女に調べさせましたよ」
変身は完璧。見破られるはずがない。
自信をもって柱廊を突き進み、豪奢な調度が犇めく閨に至り、寝台の傍らに跪きます。
「お初にお目にかかります。今宵の夜伽を仰せ付かった、踊り子のサフィーヤと申します」
紗幕に影絵が映ります。寝台に影が身を起こすと同時、折れたシャムシールを握り締めて瞠目し、マルズークの面影を呼び出します。
「懐かしい名だな」
かすかな違和感を覚えました。記憶にあるジャイラ王の声より、少し若い。
続けざま紗幕が巻き上げられ、惨たらしい傷跡を顔に刻んだ、初老の男が現れました。
「……っ」
まさか。
そんなことが。
どれほど変わり果てていても一目でわかりました。
貴方の目の前にいるのは、ムスタファに斬られ、崖から落ちて死んだはずのマルズークでした。
「マルズー、ク?」
「王を呼び捨てにするとは豪胆な娘だな、気に入った。お前たちは下がれ」
侍女たちが丁重に一礼して辞したのち、マルズークはわけがわからず混乱する貴方を寝台に押し倒し、荒々しく愛撫しました。
「やだ、いや」
シーツを蹴り立てかきむしり、それでも退かないマルズークに恐慌をきたし、喉も裂けよと叫びます。
「僕がわからないのかマルズーク!!」
どんより濁った瞳が貴方を見詰め、次いで耳朶へ移り、大きく見開かれました。
「その耳飾り」
乾いた手が髪を梳き。
「その髪」
腰を抱き。
「その剣。嗚呼、お前は!」
会いたかったぞイルファーン。
愛しい人に名前を呼ばれた瞬間変身がとけ、貴方は白き舞い手のイルファーンに戻っていました。
「どうして……」
でたらめだ。
否定してくれ。
「ジャイラ王は、アマルはどうした?ムスタファは君が処刑したのか」
「はは……寝ぼけてるな。あれから何年経ったと思ってる?五十年だぞ」
「崖から落ちたのに」
「だが生きていた、辛うじて。草木を齧り泥水を啜り、執念だけを頼りに生き延びて、何日もかけ崖を這いあがり、都に帰還した」
断崖の突起に引っかかり九死に一生を得たものの、岩肌で削れた顔は醜く様変わりし、毒霧の症状で髪から色素が抜け落ちました。
「俺は名と素姓を偽り軍に入隊し、ムスタファと王に仕えた。毒霧を吸い込んだ喉が潰れ、二目と付かぬ顔に成り果てていたせいか、幸いにして気付かれなんだ」
「何故」
「復讐だ」
マルズークは軍閥で迅速に出世を果たし、数々の武勲を立て、三十年前にクーデターを起こしました。
「ジャイラ王はこの手で殺した。ムスタファは広場で処刑した。首は串刺しで晒したぞ」
「アマルは?」
「炉にくべた」
何を言ってるかわかりません。
「ああ、俺としたことが端折ってしまったな。すまんすまん……お前がくれたシャムシールを失ったのは返す返すも痛手だった。聞いてくれイルファーン、お前を忘れた日は一日もない。毎秒毎分お前のことだけを考えていた、お前をヤツから取り戻すことだけを。しかし黒き奈落のジブリールは強い、生身の人間ではかなわない。魔人を倒せるのは魔剣だけだ」
マルズークの目が虚ろになります。
「ある夜、夢に予言者が現れた。長い黒髪にオパールの目をした、美しい男だ。俺はどうすれば精霊殺しの魔剣を造れるか聞いた」
聞きたくありません。
「予言者は言った。黒き奈落のジブリールを討ち滅ぼしたくば、百人の乙女を贄に捧げ、その火で剣を打てと」
ジブリール、君はどこまで。
「だが足りぬ。完璧ではない」
鞘から抜いたシャムシールをうっとり掲げ、強欲の権化が微笑みます。
「剣が完成した時、再び予言者が現れこういった。このシャムシールは千人の乙女の血を吸い、初めて精霊殺しの権能を得るのだと」
それこそ夜伽の名目で薄幸の乙女を集め、斬殺していた理由。
風聞と現実には彼我の齟齬がありました。彼女たちは破瓜の前に殺されていたのです、試し斬りの為に。
「目を覚ませ、だまされたんだ!」
ああ、なんてことだ。
崖に落ちたマルズークはジブリールを見ていない、だから勘違いをした、夢に現われたジブリールを予言者と取り違えた!
「君を唆したのはジブリール本人だ、彼の言うことはでたらめだ、百人の乙女を炉に捧げ千人の乙女を斬り殺しても魔剣など造れるものか、全部全部君の魂を地獄に堕とす策略だ、仕組まれた事だ!」
貴方が愛したマルズークはもういない。
此処にいるのは黒き奈落に堕ちた王、守るべき民を虐殺した愚かで哀れな暴君だけ。
「お前が九百九十九人目だ、イルファーン」
マルズークが壮絶な形相で泣き笑いし、息をも継がせずシャムシールを振り抜きました。
五十年を経ても無双の腕は衰えず、戦場で経験を積んだぶん冴えを増し、流星雨の剣閃を描いて貴方を追い詰めます。
「毎晩毎晩悪夢にうなされた、夢にお前が出てきた、どんな夢か教えてやろうか!」
躊躇ういとまはありません。
魔法で剣を復元し、マルズークの刃を受け、弾き、廻ります。
「狼の群れに喰われながら犯されていた、顔が見えない男に嬲られていた!俺は毒霧が満ちた谷底を惨めに這いずりお前が獣や男に犯される姿をむざむざ見せられるんだ!」
「僕は此処にいる、ちゃんと帰ってきたじゃないか。待たせてごめん、でも大丈夫また二人で旅に」
左手首から先が鮮やかに斬り飛ばされ、宙を舞います。
「遅い」
ええその通り、貴方は遅すぎた。
貴方を失った五十年の間に、マルズークの心は孤独と幻影に蝕まれ、病み衰えていたのです。
狂王の瞳には救い難い悲哀と絶望の翳りが巣食っていました。
あるいは。
彼が手にしているのが本物の魔剣なら、使い手の意志と体を乗っ取り、動かしているのかもしれません。
「止まれないのか」
「痴れたことを」
暴君を弑さねば犠牲者がでる、千人目の乙女が死ぬ。それはサフィーヤの娘や孫かもしれない。
在りし日ジブリールが蒔いた悪意は確かに芽吹き、どす黒い狂気でもって友の魂を毒し、虐政を敷く暴君に貶めました。
目を瞑り、気息を正し、残る片手に握り直したシャムシールの切っ先を王に向けます。
極光の眼光が覚醒。
旋風を巻き起こし、ほぼ同時に必殺の一撃が繰り出されます。
風切る唸りを上げて迫る刃にあえて横髪と耳朶を断ち切らせ、その隙に大胆に踏み込み、研鑽に洗練を重ねた剣舞を絶技に昇華させ、マルズークの首に狙いを定め……
ラピスラズリの耳飾りごと肉片が床を叩き、一拍遅れて首が鮮血を噴き上げ、後ろ向きに倒れました。
狂王マルズークは最後まで魔剣を手放しませんでした。首と胴が別れても、なお。
彼は最期まで剣士でした。
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