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ベッドの側のテーブルにハルベルからの香油の瓶を置いたおかげか、その日はゆっくりと休むことができた。
そして翌朝、いつものように起こしに来たハルベルに着替えを手伝ってもらいながらも学校の準備を済ませる。
その日はなんだか寮舎内が騒がしかった。
何かあったのだろうか。そう考えて、ハッとする。
そうだ、今日から確かあいつが――アンリがこの学園の生徒として受け入れられることになったのだ。
そして生徒会でもあり、見つけた本人でもあるアンフェールがその面倒を見るという役を引き受ける、というのが流れだった。
ということは、今頃生徒会室にいるのだろうか。
俺の知らないところであいつらが勝手に好感度を高めあってると思ったら居ても立ってもいられなかった。
俺はハルベルを置いて、そのまま学舎へと移動する。
――生徒会執務室前。
目の前には相変わらずデカい扉。そしてそのまま扉を開こうとしたときだった。先に目の前の扉が開いた。
そして、そこにいたのは。
「……リシェス?」
「アンフェール……と、お前は……」
アンフェールの後ろ、俺と同じ制服に身を包んだそいつは人畜無害そうな顔をしてぺこりと頭を下げてくるのだ。
「あの、僕……八代杏璃って言います。えと、この前一緒にいた人、だよね?」
そう恐る恐る、尋ねるように近付いてくるアンリ。
俺は咄嗟になんて答えればいいのか分からず、目の前のアンリから目を逸らすことができなかった。
違和感というか、デジャヴュだ。
――それも、『リシェス』としての記憶ではない。卯子酉丁酉としての記憶だ。
以前の俺はこんな違和感を覚えることはなかった。しかしそれはあまりにも朧げで、体感に近い。
「――おい、リシェス」
ぼうっとアンリの顔を見ていたとき、アンフェールに肩を掴まれはっとする。
「ああ……俺は、リシェスだ。……よろしく」
以前の自分がどんな挨拶をしていたかわからないが、咄嗟に反応を優先させようとした結果、俺はアンリにそう手を差し伸べていた。
これは、卯子酉丁酉のときのくせだ。リシェスならばこんな気安く他人に握手をしない。
案の定驚くアンフェールにしまった、と思ったとき、アンリはにっこりと笑って俺の手を取るのだ。
「――よろしく、リシェス君」
ほんの一瞬、アンリの声がノイズかかったように聞こえのは気のせいだろうか。思わず目を見開くが、アンリもアンフェールもいつもと変わらない。
……なんだ、この違和感は。
「アンリ、手続きがあるんだろう。……着いてこい、教室まで案内する」
「あ、はい。ありがとうございます、アンフェール君」
「……」
「そういえばリシェス、お前はなにしにここに来たんだ?」
「あ、……俺は……」
しまった、なにも考えてなかった。
自分のいないところで二人が仲良くなるのは怖かったし避けたかった。けど、そのための都合のいい理由も用意していない。
口籠る俺の手を握り、アンリはにっこりと笑った。
「それじゃあ、リシェス君も一緒にどうですか?」
いつもモニターの中で見ていた、そんな無邪気な笑顔でこちらを見るのだ。
――この展開は、なかった。
初っ端からリシェスである俺はアンリのことを受け入れられなかったからだ。
正直、俺の中には二つの心がある。
プレイヤーとしてアンリのことは好きだった。悪いやつではないと分かっていたからこそ、複雑な気持ちだった。
しかし、元より俺は原作ゲームの運命から逃れるためにいるのだ。
「――ああ」
ならば、やれることはやるしかない。
そう俺はリシェスの提案を快く受け入れた。
そんな中ずっと、神妙な顔でこちらを見てくるアンフェールの視線が痛かったが俺はそれを無視した。
それから俺はアンフェールとアンリ、三人でこの学園の中を見て回ることになった。
とはいえど俺はただのおまけのようなものだ。主にアンフェールがアンリに施設や設備の説明をして、それをアンリが熱心に聞く――そんな光景をやや斜め後ろから眺めていた。
そして、学園内の案内を一頻り終えたあと。
「アンリ、お前の部屋は決まってるのか」
「部屋ですか? ……あ、そういえばさっき、先生がなんか言ってたような……」
「そうか。……今日はもう授業もない、部屋で休め。明日から授業に出ればいい。俺はこれから生徒会の仕事があるので戻る」
アンフェールにしては優しい言い回しだ、などと思いながらそんなやり取りを見ていた。
アンリの柔らかい雰囲気に気圧されたのかもしれない。なんて思っていたとき、ちらりとアンリがこちらを見る。
「あの、リシェス君はどうするんですか?」
「俺? ……俺は別に」
「だったら、一緒にどうですか?」
「え?」
思ってもいない誘いに、思わず変な声が出てしまった。
アンリの申し出に戸惑ったのは二度目だ。
「……ちょっとまだ、寮舎の方は自信なくて」
そして、しゅんと落ち込んで見せるアンリに『ああ、そういうことか』と納得した。
それなら断る道理もない。
「……まあ、そういうことなら」
「よかった、じゃあよろしくお願いしますね。リシェス君」
言いながらあまりにも自然な流れで手を握ってくるアンリにぎょっとする。
……こいつ、こんなに距離が近いやつだったか?
「ああ」と返した声はなんとなくぎこちなくなってしまった。
アンフェールの突き刺さるような視線から逃げるように、俺はアンリに引っ張られてその場をあとにしたのだ。
それから一日の授業を終え、それぞれ勉学に訓練などと励む生徒たちに紛れて俺たちは寮舎へと戻ってくる。
やはり俺とアンリの組み合わせは異色なのだろう。その上、何故か手を繋いでるのだから無理もない。
驚いた顔をしたモブ生徒たちがひそひそと話し合ってるのを横目に、俺はなんとなく一種の居心地の悪さを覚えていた。
「……アンリ、だったか」
あまりにも堪えられず、こちらからアンリに話しかける。
「はい」とアンリはこちらを見上げた。
「手を離してくれ。……その、目立ってる」
そう言えば、アンリは俺が言わんとしていたことに気付いたようだ。はっとし、それからすぐに「すみません」と俺から手を離すのだ。
「別に構わない」
「ありがとうございます、リシェス君。……」
「……まだなにか?」
「いえ、なんだか……アンフェール君に聞いていたイメージと少し違うなと思って」
「あ、変な意味とかじゃなくてですね! 真面目でもっとクールな人だと思ってたというか……」思ったよりも話しやすい方で安心しました、なんて微笑むアンリに少しだけ心臓が跳ね上がる。
別段美形ではないのになんとなく雰囲気があるというか、確かに現実にこういう子がいたら好きになってしまうやつの気持ちも分かるかもしれない。
どうしても第三者としてアンリのことを見てしまう。こいつは恋敵であるはずなのに、あまりにも無防備すぎるから。
「アンフェール君から聞きました、リシェス君はアンフェール君の婚約者さんなんですね」
「そうだな」
「その、アンフェール君もリシェス君も男同士……ですよね? すごいな……」
「……」
「あ、ごめんなさい。僕ばっかり一人で喋っちゃって。その、僕……別の、異世界から来たんですけど」
「……知ってる」
「え?」とアンリの目がこちらを向く。
「けど、この世界じゃ別に珍しい話でもない。それに、男でも妊娠できる」
「……男でも?」
「全員が全員というわけではないけど、一部そういうやつもいるってことだ」
「じゃあ、リシェス君も赤ちゃんが産めるんですか?」
思わず言葉を飲んだ。
そう尋ねてくるアンリの顔が、なんだかさっきまでと雰囲気が違うように見えたからだ。
だから咄嗟に俺はアンリから離れた。
「……別に、関係ないだろお前には」
「あ、ご、ごめんなさい……そうですよね、プライベートなことでしたよね」
すると、さっきまでの異様な雰囲気はウソだったように、そこにはいつもと変わらないアンリがそこにいたのだ。
「それじゃ、行きましょうか」と俺を置いて歩き出すアンリに内心戸惑いながらも、俺は渋々その後を追った。
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