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私は自分の誕生日が嫌いだ。
一昨年の日記には「忌々しい」と書き残し、今年の手帳には真っ黒に塗りつぶした。SNSに誕生日を登録せずに、当日はじっと息を潜めて、湖の底に佇む魚のように眠る。
誕生日が嫌いなのはいつからだろう。少なくとも十歳までは、赤ペンで花丸印を描いていたはずなのに。あれは確か少女漫画の真似だったけれど、思えばそれすらもむず痒かったような気もする。
私はある日、品川の翡翠原石館に訪れていた。「日本の国石」として選ばれた、緑色の宝石と原石の数々を見た。白い石に滲み出るように浮かぶ緑色の帯。自然界では珍しい色でもないし、煌びやかに瞬きもしなかったけれど、それでも初めて見る深みを忍ばせていて、私は目を離すことができなかった。
手をのばせば、冷たい底にどこまでも沈んでいくような、緑。照明の瞬きに霞むこともなく、光が苦手なこの顔を顰めさせることもない、それがどこまでも、私に優しい。
誕生日が嫌いになったのは、卒業した途端、友だちに忘れられたから。去年祝ってくれた人に声をかけられなくなったから。喧嘩別れをして、その話題を出すことが出来なくなったと知ったから。
年を経るごとに、祝福される喜びよりも失った方を思い出し、自分が孤独であることを知ってしまう。自分も相手の誕生日をどれだけ覚えているか知らないくせに、意地汚く祝福ばかりを求めてしまう、そんな自分の醜さに打ちひしがれそうになる。
翡翠も歴史を失われていた。六千百年前という世界最古の文明がありながら、掘り出された翡翠は当時、自国で採れたものとさえ思われていなかった。
その喪失を――、いいや、翡翠は最初からなくなってなどいない。ここに在り続けることで抗ってきた。
深く沈んだ海の底からゆっくりと隆起して、少しずつ雨や清流に削られていきながら、五億年をかけて私たちの前に現れ続けた。そうして、忘れられていた新緑の宝石は遂に国石となったのである。
翡翠の原石に囲まれた展示室話を聞いたとき、途方もない歴史の流れから息継ぎをするように、私は顔をあげて外を眺めていた。
細長い窓からは、木立が微風に揺らめき、そこからちらつく木漏れ日が葉を透かしてて黄緑色に板目の床を映す。外の日差しに関わらず、石に囲まれひんやりとした中で私の醒めきった心は初めて、この季節を美しいと思った。
私は数十年ぶりに、館員さんに告げるのだ。私がどうしてここに来たかを、そして、いつの生まれであるかを。
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