前書き

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 昼食を済ませた頼子は、時計を見つめた。時計の針は、まだ十二時半を指している。誠二が帰宅をするまで、まだまだ時間がある。  引っ越しをする前日までに、殆どの荷物は片付けていた。昨日持って来た荷物と言えば、最低限の物ばかりだった。片付けも殆ど終わっていた為、やる事が無い。 「暇ねぇ…。」  そうぼやくと、大きなお腹を摩った。動けない訳では無い。せっかくだと思い、頼子は近所を散歩がてら、見て歩く事にした。  外に出ると、一月と言う事もあり寒い。特にこの場所は、山を削って出来た町だった為、風が冷たかった。風邪を引かない様にと、コートの中に沢山着こむ。まだ一月下旬だったが、雪も少し残っていた。 「だて、何処へ行こうかしら。」  きょろきょろと辺りを見渡す。まだ言った事の無い所を、と思い、昨日車で回った方向とは、逆の方向へと進んだ。歩けど歩けど、家ばかり。どこも大きな家ばかりだ。まだ空地のところも、ちらほらと見られる。途中幾つかの公園も在った。公園内では、ベビーカーを引いた母親達が、楽しそうに談笑している。それを頼子は、羨ましそうに、横目で通り過ぎた。 「私も…あんな風に友達が出来るのかしら…。」  急に独りぼっちの日案が過る。  ご近所の人達は、Kニュータウンが出来てすぐに引っ越して来た為、皆子供は同年代が多い。それに比べ、一足遅く来た頼子達。誠二の言う通り、幼稚園に入れば、沢山同年代の子供は居るだろうが、ご近所付き合いが上手く行くかどうかが、不安だった。話が合わないのではないか、夜中に赤ん坊が泣くと、迷惑が掛かるのではないか、色々な不安が過る。頼子は軽く、ため息を吐いた。  ふと気が付くと、ニュータウン内の、端の方まで歩いてきた。考え事をしながら歩いていたら、いつの間にやら結構な距離を歩いていたらしい。  周りを見渡すと、視線の先に田んぼが目に入った。こんな所に田んぼ?頼子は不思議に思うが、そう言えば、元々ここは山だったのだ。田んぼがある民家が在っても、可笑しくはない。田舎と言えば、田舎なのだから。  田んぼを見た頼子は、何だか地元の浜松が懐かしくなり、ふらふらと引き寄せられる様に、向かって行く。  住宅街から田んぼの民家は、まるで一本の道路で区切られているかの様に、全く違う雰囲気をかもし出していた。道路を渡ると、そこはまるで別世界だ。竹林が広がり、昔ながらの田舎町で、古くて大きい民家のすぐ横には、田んぼが広がり、住人が桑で畑仕事をしている。冬だと言うのに、何を耕しているのだろうか?不思議に思いながらも、頼子はそっと近づいた。 「こんにちは。」  頼子は畑仕事をしていた年老いた男性に話し掛ける。すると、男性は作業をしていた手を止め、頼子の方を見つめた。頼子は笑顔で会釈をする。と、男性は、桑を大きく振り上げると、鬼の形相の様な顔付きで、頼子を睨み付けた。 「ここはわしの畑だぞ‼この盗人め‼」  突然、怒鳴り声を上げて来た。頼子は驚き、慌ててその場から足早に逃げる。 「何だったの?今の…。」  軽く息を切らせながら、その場を後にした頼子の鼓動は、ドクドクと早くなっている。恐怖を感じた。自分の地元の田舎町とは、全く違う。どこか毒々しさを感じたのだ。 「よそ者だからかしら…。」  恐らく、元々の住人なのだろう。Kニュータウンが出来、次から次へと新しい人間が住み着き、気に入らないのだろうか。何だか恐ろしくなって来た頼子は、早く引き返そうと思った。そんな矢先だった。突然お腹が痛む。 「うっ…。」  まだ陣痛には早い。多分急に走ったせいだろう。思わずその場で、蹲ってしまった。  少し休めば、きっと大丈夫だ。そう思い、この場に居るのは怖かった為、少し離れた木陰へと、移動した。地面に座り込むと、ゆっくりと呼吸をし、お腹を何度も摩る。 「大丈夫ですか?」  と、突然女性の声がした。俯いていた頼子は、顔をゆっくりと上げる。すると、同じ様にお腹を大きくした、妊婦の女性が頼子の顔を、心配そうに覗き込んでいた。 「あ、はい…。大丈夫です…。」  驚きながらも答える。ここに来てやっと、同じ妊婦に出会えた。心無しか、頼子はどこか安心をした。 「立てます?」 「はい…。」  頼子は地面に手を付きながら、ゆっくりと立ち上がった。 「良かった。もう産まれそうなのかと思って、びっくりした。」  女性がそう言うと、頼子の顔も驚いてしまう。 「ちっ違います‼ちょっと休憩していただけで…。」  とっさに言い訳の様な事を言ってしまった。休憩と言えば、休憩だから、強ち間違ってはいない。だが、お腹が少し痛んだ事は、余計心配をさせそうだったので、言えなかった。 「休憩なら、一緒に行きません?丁度いい所がありますよ。」  そう言って、女性は道路の先を指差した。 「丁度いい所…?」  頼子は不思議そうに首を傾けていると、「ほらほら。」と、女性は頼子の手を引いて、歩き出してしまう。慌てて頼子も歩き始めるが、一体どこへ行くと言うのだろうか。 「あ、そう言えば、自己紹介がまだだったね。私は坂野智子。貴女も妊婦さんなのね。見ない顔ね。最近越して来た人?」  智子は気さくな様子で、次々と質問をして来た。 「出産予定日は?私は四月‼貴女は?」  頼子は戸惑いながらも、質問に答えて行った。 「えっと…私は…藤野頼子です。昨日ニュータウンに越して来たばかりで…。予定日は五月。」 「五月⁉予定日近いのね。苗字の野も一緒だわ。」  智子は嬉しそうにくすくすと笑うと、更に喋る。 「私は里帰り中なんだけど、細見出身なの。」 「細見?この辺りは、細見って言うの?」 「そうよ。昔から在る田舎町よ。だから私も田舎者なんだけど、今は東京に住んでいるの。頼子さんは、出身は?」 「えっと…浜松。」 「あーうなぎの美味しい所だ。いいなー。」  智子は明るい性格をしていた。親しみやすく、気さくで、先程の年老いた男性と、同じ住民とは思えないくらいだった。きっと智子が、まだ若いと言う事もあるだろう。 「ねぇ…ここのお年寄りって、皆怖い人ばかりなの?」  恐る恐る頼子が聞くと、智子は少し困った表情を浮かべる。 「あー田舎だからねぇ。よそ者嫌いな人も中には居るね。でも、皆が皆って訳じゃないよ。優しいお年寄りも、沢山居るから。」  智子の言葉に、少し安堵した。 「あ、着いた。ここだよ。」  喋りながら歩いていると、あっという間に到着してしまった。頼子は目の前に広がるお墓に、ぎょっとしてしまう。 「え?お墓?」  入口の両サイドには、縦長の石の看板が掲げられている。石には『林光院寺』と彫られていた。  中を潜ると、細道が続いていた。その目の前に、お墓は広がっている。細道を少し歩くと、右側に、大きなお寺があった。お寺のすぐ横には、住居が隣接している。  一瞬ぎょっとした頼子だったが、お寺ならば、お墓があって当然だ。お寺とお墓の前には駐車場が在り、そのすぐ側に、広い入口があった。駐車場には、既に何台かの車が停まっている。 「お寺で休憩をするの?」  智子に尋ねると、「そうよ。」と笑顔で返して来た。 「ここのお寺、よくお茶会をしているのよ。私もたまに来るんだ。地域の人の憩いの場になっていてね、細見以外に住んでいる人も来るんだよ。」 「へぇー…。」  頼子は感心をしてしまう。てっきり閉鎖的な地域かと思っていたが、意外とそうでも無い場所もあるらしい。  頼子は入口を潜ると、すぐ左横に立っている、大きなお地蔵さんに気付く。女性のお地蔵さんで、手には赤子を抱き、両サイドの足元にも、赤子が側得ていた。お地蔵さんの足元には、玩具や縫いぐるみのお供え物が置いてある。 「水子地蔵?」  ふと頼子は足を止め、お地蔵さんを見つめた。すると智子が、「あぁ。」と、説明をしてくれる。 「大神様だよ。」 「大神様?」 「水子地蔵なんだけど、安産祈願でもこの辺りじゃ有名なんだ。それに、昔はお参りをすると、子を授けてくれたんだって。三つの子の役割を果たしてくれるから、大神様って呼ばれてるんだ。」 「そうなんだ…。」  とても不思議だった。何だか穏やかな顔をしたお地蔵さんだ。三つの役割と言うのも、全て子に関しての物だったからか、子の神様みたいな物に思える。丁度頼子は妊婦だ。安産祈願があるのならば、丁度いいと、頼子はお地蔵さんに手を合わせた。 「実はね、私も大神様のお陰で、妊娠したんだ。」 「え?」  突然の智子の話に、頼子は驚く。 「私、不妊症でね。東京で高い不妊治療も受けたんだ。でも全然駄目で、実家に帰った時に、大神様にお参りしたの。そしたら何と、一週間後には妊娠してたんだよ‼何年も治療して駄目だったのに‼凄いでしょ‼」 「え!?そうなの!?凄い‼…って、智子さん失礼だけど、今お幾つなの?」 「あー私?こう見えて、三十四歳だよ。」 「そうなんだ…。」  大神様の話にも驚いたが、智子の年齢にも驚いた。てっきり、自分と同じくらいの、二十三歳くらいだと思っていた。智子はとても、若く見える。 「頼子さんも、きっと安産間違いなしだよ。」  智子は嬉しそうに言って来た。智子の話を聞くと、本当に、大神様のご利益がある様な気がしてしまう。  二人が大神様の前で立ち話をしていると、一人の老婆が近づいて来た。 「ほらほら、妊婦二人がそんな所で立ち話をしてないで、中おいで。」 「あ、吉原のおばあちゃんだ。」 「吉原のおばあちゃん?」 「ここの長だよ。」  吉原は、穏やかな顔をした老婆だった。この寺の関係者かと言う訳ではなく、お茶会の常連客で、自然とお茶会を仕切る役目をしていた。 「見ない顔だね。新人さんかい?」 「あ、はい。藤野頼子と言います。初めまして。」  頼子は慌てて挨拶をする。 「よく来たね。さぁさぁ、中にお入り。美味しい饅頭もあるよ。」  二人は吉原に連れられ、寺の祭壇の中へと入って行った。  祭壇の中は広く、大きなお釈迦様が堂々とした存在感で座っている。中にはテーブルが一列に並び、座布団を引いて、既に何人かの人達が座っていた。殆どが年寄りばかりだった。そんな中、若い二人は浮いている様に感じたが、智子は気にする様子もなく、年寄り連中に混ざり、雑談を始める。頼子も恐る恐る智子の隣に座ると、お茶と美味しそうな、和菓子を振舞われた。 「あら、新人さん?」  一人の老婆が言う。 「私の友達、藤野頼子さんだよ。同じ妊婦さんなんだ。」  頼子の変わりに、智子が自己紹介をした。 「あらあら、妊婦さんが二人になったのね。大神様に引き寄せられたのかしら?」  別の老婆が言う。  頼子は緊張した趣でいたが、皆優しく話しかけてくれ、自然と緊張も解けて行った。気付けば皆に馴染み、色々な事を話していた。出身地の事や、越して来たばかりと言う事、誠二の事等。まだこちらに来て誰とも会話をしていなかったせいか、弾けた様に沢山話した。楽しい一時を過ごしていた。  皆と楽しく話をしている最中、頼子の隣に、一番年老いた老婆が座って来る。そして頼子の大きなお腹をまじまじと見ると、突然不気味な事を言い始めた。 「あんた、お腹の子が流産したら、大神様に捧げな。また同じ子を授けてくれるよ。」 「…え?」  流産なんて、縁起でもない。不気味に思った頼子は、すぐさまその場所から離れた。だが老婆はついて来る。 「大神様は、有難いもんじゃないよ。恐ろしいもんだよ。」 「何を言っているんですか?」 「大神様は人喰い鬼だよ。恐ろしいんだよ。」 「……。」  頼子は言葉を詰まらせた。すると、別の老婆がこちらに気付き、近づいて来る。 「こらこら、岸野さん。また妊婦さんを怖がらせてー。駄目じゃない。ごめんなさいね。岸野さん、この辺りじゃ一番古い人だから、昔話が好きでねぇ。」  先程の老婆は、岸野と言うらしい。 「いえ…。昔話?」 「大した事じゃないわよ。さ、あっち行きましょうね。」  そう言って、老婆は岸野を連れて、寺の外へと出て行ってしまった。  頼子に気付いた智子は、苦笑いをしながらこちらへと来る。 「あちゃー頼子さんもやられたか。」 「も?って事は、智子さんも?」 「まぁね。お参りして妊娠した時、岸野のおばあちゃんに同じ事言われたよ。まぁ気にしなくていいよ。」 「うん…。」  どうやら毎度の事らしい。よく詳しくは分からないし、知りたいとは思わなかったが、頼子は岸野に言われた事は、気にしない事にした。  その日の夜、頼子は早速誠二に、今日の出来事を嬉しそうに話していた。智子と言う友人が出来た事、お茶会で、沢山の人と話した事、勿論、大神様の事も話した。だが誠二は、どこか浮かない様子だ。 「でも、その智子さんは出産して暫くしたら、東京に戻るんだろう?他の人もお年寄りばかりだし、やっぱり近所で友達を作った方がいいよ。」  誠二の言葉に、頼子は不機嫌になってしまう。 「何よ。せっかく友達が出来たのに、誠ちゃんは喜んでくれないの?」 「そうじゃないよ。只もっと身近に友達は作った方がいいと思って。それに、細見の連中だろう?関口も言ってたが、気を付けた方がいいぞ。地元意識が強いみたいだしな。」 「そんな事無いわ。皆良い人ばかりだったわよ。そりゃあ、怖い人も居たけど…。」  道中の年老いた男性や、岸野の事を思い出し、言葉が途中で詰まってしまう。だが、他の人達は優しかった。確かに、細見出身では無い人だったからかもしれないが、少なくとも、お茶会を開くお寺や、吉原は他の住人とは違う。 「新しい住人を受け入れようと、頑張っているのよ。」  必死に頼子が訴えるも、誠二はやはり、浮かない様子だった。 「これから長く住むんだ。やっぱりご近所さんと、仲良くした方がいいよ。」 「もうっ‼」  へそ曲がりな誠二に、頼子もへそを曲げてしまう。  誠二は大神様については、全く触れなかった。昔からのよくある言い伝えみたいな物だろうと思い、どこの地域にでもよくある話だと、軽く流したのだ。
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