前書き

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 智子が臨月に入ると、頼子は一人でお茶会に行く様になった。すっかりお茶会の常連となった頼子だったが、近所付き合いは未だに無く、顔を合わせれば挨拶をする程度だった。そんな頼子を心配してか、吉原はよく、頼子の近所から来ている老婆を紹介していた。だがやはり老人だ。友人と言うよりも、年寄りの話し相手になってしまい、中々お茶会以外で会う機会は無かった。 「頼子ちゃん、お年寄り相手ばかりじゃ、つまらないでしょ?もっと若い子とお話出来る様に、私何とかするから。」 「あ、いいんですよ。私はここに居る方が、気が楽ですから。」 「そう?」  心配をする吉原を余所に、頼子はすっかりお寺に居着いていた。  頼子を心配しているのは、誠二も同じだった。誠二は頼子を何とか近所に馴染ませようと、自分はご近所さんの旦那さんと、積極的に話をする様にしていた。だがせっかく誠二が他の旦那さんと仲良くなっても、奥さん同士が仲良くなる事が無かった。それも頼子が、せっかく話し掛けられたり、差し入れを貰っても、無下に扱っていたのだ。頼子はお寺に執着しているかの様子だった。  困り果てた誠二は、仕事帰りに関口と居酒屋に入ると、頼子の相談をした。二人は干物をつつきながら、ビールを飲む。関口はぐいぐいとグラスにビールを注ぎ、飲み干していくが、誠二の酒は全然進まなかった。 「はぁ…。」  ため息を吐くと、一口飲む。その繰り返しだ。 「頼子ちゃんは、完全に奴等に囚われたな。」  関口はため息を吐く誠二の肩を、二回ぽんぽんっと叩くと、グラスに入ったビールを一気に飲み干す。 「どうしたものか…。これから子供が産まれて、何か困った事があった時、ご近所を頼れないじゃないか。それに、町内会だってある。嫌でも顔を合わせるのに、今からあんな不愛想じゃなぁ…。」  問題は山積みだ。頭を抱えながら、干物をつつく。 「頼子ちゃん、実家が恋しいんじゃないのか?」 「え?」  突然の関口の発言に、誠二の手は止まった。 「頼子ちゃんの実家の田舎と、重ねてるんじゃないのか?里帰り出産しないんだろう?そりゃ不安だって沢山あるさ。親身に世話をしてくれるジジババ共に甘えたいんだよ。」 「まぁ…それは確かにあるかもしれない…。」  誠二は成程、と頷いた。 「でも、だったら歳の近いご近所さんだって、親身になってくれるだろう。出産の先輩なんだし。」  頷くも、納得はいかない。そんな誠二に、関口は更に言う。 「智子ってー同じ妊婦の友達が居るから、それで十分なんだろう。歳が近けりゃいいってもんじゃないぞ。要は同じ境遇かってのが大事なんだ。先輩にあれこれと言われるよりは、共感してくれる友達の方が嬉しいだろ?」 「まぁ…確かに…。」 「頼子ちゃんは、今の現状に満足してるんだ。それならそれでいいじゃないか。出産したら、また気が変わって、近所付き合いするかもしれないぞ。」 「それなら…いいけど。」  どこか歯切れの悪い誠二に、関口は苛立つ。 「妊娠は情緒不安定なんだよ。好きにさせてやれ。」  はっきりと関口に言われ、誠二は言い返す言葉も無い。  確かに、関口の言う通りかもしれない。最初に越して挨拶回りをした時、頼子は同じ妊婦が近くにおらず、不安がっていた。そこに同じ妊婦の智子が現れたのだ。さぞ嬉しかっただろう。それに、祖父母変わりに世話をしてくれる老人達。頼子にとって、居心地が良いのも分からなくはない。 「そんなもんなのかな…?」  誠二はグラスに入ったビールを、飲み干した。暫くは頼子の好きにさせておこう、そう思った。  誠二は暫く、頼子の好きにさせた。頼子は相変わらずお寺へと通い、老人達と他愛もない話で盛り上がっている。そんな日々が、暫く続いた。  その日も頼子は、お寺のお茶会に参加をしていた。すると、赤ん坊の泣き声が、何処からともなく聞こえて来る。不思議に思い、頼子は後ろを振り返ると、外には赤ん坊を抱いた智子の姿が在った。智子は嬉しそうに、笑っている。 「智子ちゃん‼」  頼子は久しぶりに見る智子の姿に嬉しく、満遍ない笑みを浮かべた。 「頼子ちゃん、久しぶり。」  智子は赤ん坊を抱きながら、院内へと近づいた。頼子は嬉しさから、急いで靴を履き、外へと出ると、智子の元へと駆け寄る。抱いている赤ん坊を見て、更に嬉しそうな表情を浮かべた。 「産まれたんだね‼可愛いっ‼おめでとう‼」 「ありがとう。男の子だよ。名前は康介って言うんだよ。」 「康介君…。」  頼子はそっと、康介の手を握った。すると、康介も力強く、頼子の手を握り返して来る。頼子と智子は、互いに顔を見合わせると、嬉しそうに微笑んだ。 「あらあら、産まれたんだねぇ。」 「こりゃめでたい。」  院内に居た老人達も、揃ってぞろぞろと、智子の元へ集まって来る。その中に、岸野の姿もあった。  岸野は康介の顔をまじまじと見ると、眉間にシワを寄せた。 「生贄の子だね。大神様なんかに願うから…。」  岸野の言葉に、周りは沈黙してしまう。余りに酷い言い草に、流石の頼子も腹を立てた。 「ちょっと岸野のおばあちゃん、それは酷い言い方じゃないの?産まれたばかりなのよ。祝福くらい出来ないの?」  怒り気味に言うも、岸野は鼻を鳴らし、痛くも痒くも無い様子で、お寺から去って行ってしまった。 「何よあれ‼」  頼子が更に腹を立てると、智子が「いいのよ。」と、宥めて来る。 「私は気にしてないから。まぁ予想はついていたし、大丈夫よ。」 「でも…。」  予想はついていたと言うが、流石に『生贄の子』とは、余りに酷過ぎる。もし理子が同じ事を言われたら、自分なら許せない。何故皆、反発しないのか、しない事に関しても、頼子は腹が立った。 「言い返してやればいいのに。」  智子は頼子の言葉に、黙って俯くだけだ。 「頼子ちゃん、実はね…。」  余りに頼子が怒っている為、見兼ねた吉原が、宥める様に語って来た。 「岸野のおばあちゃんもね、昔若い頃、赤ちゃんが出来なくてね、大神様に祈ったんですって。」 「え?大神様に?」 「それでね…無事妊娠、出産までは良かったんだけど、子供が行方不明になっちゃってねぇ…。未だに見つからないのよ…遺体も…何も…。」 「え…行方不明…。」  突然の話に、頼子は戸惑ってしまう。岸野もその昔、大神様に子を願い、授かったのだ。だが行方不明に。智子の子供も、同じ目に合うと言うのか。 「大神様に食べられたんだって、そう信じてるんだよ。だから大神様は、鬼神だってねぇ。」 「鬼神…。」  まるでお伽話の様な話だ。鬼神に願い、鬼神に喰われる。どうやらこの話は、智子は勿論、他の人達も知っている様子だった。だから誰も、言い返さなかったのか。 「そんな事が…。その後、子供は授かってないの?」  頼子が吉原に尋ねると、吉原は無言で、首を左右に振った。岸野はずっと、行方不明の子供に、囚われているのだ。  その後は何となくその場に居づらくなり、家へと帰った。『生贄の子』『鬼神』様々な言葉が、頭の中を過る。  その日の出来事は、詳しくは誠二には話さなかった。只智子が出産をして、赤ん坊の名は康介だったと言う事しか、話さなかった。いや、話せなかった。  誠二は頼子の話を聞くと、次はいよいよ自分の番かと、意気込みを見せた。ベビーグッズはもう十分なくらい用意をしてある。あとは理子が、産まれて来るのを待つだけだった。
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