傷痕

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 オトコを、拾った。  夜勤明けの帰り道。  繁華街の路地で。  彼の年齢は……40代後半くらいかな。  真っ黒な服。少し長い髪。  彼は地面に倒れてた。  横向きで。  職業柄、怪我人や病人は見慣れてる。  だから驚かなかった。  素通りしても良かったんだろうけど。  職業柄、放置も出来なかった。 「あのー。どうされましたか?」  立ったまま声を掛ける。  顔色はそれほど悪くない。  夏だし一晩くらい外で寝ても問題ない。  彼の目が覚めれば立ち去るつもりだった。 「起きてくださーい。朝ですよー」  もう電車も動き始めてる。  私も早く帰りたい。疲れてるし。  全く起きる気配の無い彼に苛立(いらだ)ちを覚える。  この近くに交番あったっけ。 「あのー。お巡りさん呼んで来ますねー」 「……それは困るなぁ」  何だ。起きてんじゃん。  地面から上半身を起こした彼は大きな欠伸(あくび)をしてる。 「おはよう。お嬢さん」  寝起きで(かす)れた声が妙に色っぽい。  お嬢さん、って年齢でもないんだけど私。 「何か大丈夫そうなんで私、帰りますね」 「どちらまで?」 「言う訳ないでしょ」  出会ったばかりの怪しいおっさんに個人情報を教えるほどバカじゃない。 「歩いて行ける範囲なら有難い」 「何でついてくる前提なんですか」 「カネ持ってなくて」 「そうですか」 「身体で返すから」  そういうのって若い女の子がオジさん相手に言うものでしょ。 「頼むよぉ」 「お断りします」 「お仕事忙しくて家事するヒマも無いでしょ。看護師さんって」  え……何で。何で知ってる? 「雑用でも何でも言いつけていいからさ。今日だけでいいから」 「……ちょっと待って。何で私のこと」  彼はにっこり笑って、自分の手の甲をもう片方の人差し指で示す。 「メモ。するでしょ看護師さん」  確かに私の左手には時間や数値が書き込まれていた。 「こんな時間に仕事終わりっぽいし。水商売っぽくないし。道端で倒れてる怪しいおっさんをスルーしなかったし。看護師さんかな、って」 「……なるほど」  鋭い洞察力に感心する。  何者なんだろ。  ちょっと痩せ気味で顔色も悪くて不健康そうな印象だけど。  ……顔はいい。  切れ長な目に通った鼻筋。  結構スキなタイプ。 「あ。心配しないで。僕、女の子に興味ないから」 「それを信用しろと?」 「うん」  賢いのかバカなのか。  裏があるのか表だけなのか。  全然、わかんなかったけど。 「いいよ。ついて来て」  私は彼に興味を持った。 ◆  職場から徒歩20分。  住宅街の外れ。小さな二階建てアパート。  二階の角部屋が私の家。  窓を開けても隣家の外壁しか見えない。  日照時間3分の部屋。  私の給料ならもう少しいいとこにも住めるけど。  どうせ寝に帰るだけだから。  狭い玄関で靴を脱ぐ。  後ろからついて来た彼は扉を開けたまま立ち尽くしてる。 「どうしたの。早く入ってよ」 「いや。何かイメージと違ったから」 「何が?」 「もっと女の子らしい部屋を想像してた」  私は質実剛健というか、無駄が嫌いな性格だから。  インテリアも殺風景なんだけど。 「若い女がみんな、お花畑の住人と思わない方がいいよ」 「勉強になるなぁ」  しみじみ言って彼が扉を閉める。  すぐにでも本性を現すかなって思ってたんだけど。  そういう気配は無かった。  私がシャワーを浴びて部屋に戻ったら彼はキッチンのシンクの掃除をしてて。  それはそれで何かムカついたから、冷蔵庫から缶ビールを取り出して勢いよく飲む。  仕事の後のお酒は美味い。  生き返る。 「オジさんも飲む?」 「僕は飲めなくて」 「え、そうなの?酔っ払って道で寝てたんだと思った」 「あぁ。死のうと思ったけど死ねなかったんだよね」 「なにソレ」  タチの悪い冗談だ。 「私、寝るけど。オジさんは」 「僕はさっきまで寝てたから」 「そうだけど。しないの」 「何を?」 「セックス」  気のせいかな。  彼はとても悲しい顔をした。 「遠慮するよ」 「何で」 「言っただろ?女の子に興味ないって」 「……あぁ」  『そっち』の人か。  顔はいいのに残念。 「じゃあ適当に過ごして。冷蔵庫の中のもの何でも食べていいから」 「ありがとう」  盗られて困るような物も無いし。  私はいつも通り寝ることにする。 「お嬢さん」  声を掛けられて目が覚めた。  壁の時計の針はお昼の12時。  もう少し寝たいから無視した。  そしたら彼が聞く。 「お昼ご飯は食べなくていいの?」 「……いつも食べないから」  一人暮らしだから食事の用意も面倒だし。 「そう」 「食べたかったら勝手にどうぞ」  彼は起こしたことを詫びてからキッチンの方へ歩いて行く。  切れ味の悪い包丁の音が聞こえた。  それから何かを炒める音。  ごま油とニンニクの匂い。  美味しそうな香りにお腹が鳴った。  ……食べるって言えば良かった。 「お嬢さん」  彼はまた私に声を掛ける。 「なに」 「割り箸ってあるかな」  水切りかごには私の箸しか置いてない。  友達も彼氏も居ないから。  箸が無きゃ食べれないよね。 「あぁ……シンクのとこの引き出しの中」 「ありがとう。ついでに、もうひとついいかな」 「いいけど。なに」 「一緒に食べてくれない?たくさん作っちゃったから」  そこまで言われたら仕方ない。  私は渋々、という顔でローテーブルの前に座る。  彼は手際よく料理やご飯を盛り付けて私の前に置いた。  メインは豚肉とシメジの中華風炒め、かな。  見た目も美味しそう。 「いただきます」  2人で向き合って手を合わせてから食べ始める。  職場以外で誰かと食事するなんて何年ぶりだろ。  親は生きてるけど縁が薄い。  人付き合いは面倒だし。  彼氏もここ2年くらい作ってない。  独りは気楽でいい。  寂しさなんて感じない。  でも。  久々の独りじゃない食事は、とても美味しかった。 ◆  翌日も、その次の日も、彼は居座った。  一日だけでいいって言ってなかった? 「帰るとこ無いんだよ僕」 「だからって私のヒモみたいな生活してていいの」 「ヒモじゃないよ。専業主夫」 「夫じゃないし」  狭いワンルーム。  シングルベッドで一緒に寝るしかないんだけど。  彼は私に触れようとしなかった。  まあ、そういう趣味なんだから仕方ない。  そんな生活が当たり前になった冬の初めの頃。  彼は私に話があると、改まった口調で言う。  何となく、分かってしまった。  2人の時間が終わるんだって。 「新しい仕事が見つかったんだ」 「へー。良かったじゃん」 「住み込みでいいって言うから」 「おめでとう」 「今まで置いてくれてありがとう」 「いいよ。私も助かってたし」 「御礼は、必ずするから」 「だから、いいって。そういうの要らない」 「そういう訳にはいかないよ」 「じゃあさ」  ちょっとからかってやろうと思った。 「私とセックスしてよ」  彼の困った顔が見たかった。  ただ、それだけ。 「……それがお嬢さんの望み?」 「望み、って言ったらしてくれるの?」 「……ごめん。それだけはムリなんだ」  ほら。やっぱり。 「いいよ。言ってみただけ。オジさんが居なくなったら新しい彼氏も作れるし。若い彼といっぱいするからいい」 「……そっか」 「そんな辛そうな顔しないでよ」 「お嬢さんこそ。泣きそうじゃないか」 「は!?泣いてないし。邪魔者が居なくなって清々する」  そう言いながら、私は泣いてた。  彼と離れたくなかった。  ずっとここに居て欲しかった。 「……ごめん」  聞きたいのはそんな言葉じゃない。  どうして分かってくれないの?  彼は立ち上がり、小さな鞄を手に部屋を出て行く。  笑顔で送り出せなかったことを悔やんだ。  狭いはずの部屋。  こんなに広かったんだ。  心に空いた穴を埋めるように、私は働いた。  あの部屋に独りで居たくなくて。  夜の街で過ごす時間も増えた。  もう、何もかもどうでもよくて。  だから。私は――。 「人を――殺しました」  誰かに聞いて欲しかった。  話さなければ気が狂いそうだった。  どこをどう歩いたのか覚えてない。  気づいたら高台に建つ小さな教会の前にいた。  懺悔室(ざんげしつ)……って言うのかな。  外国の映画で見たことがある気がする。  扉を開けると、人ひとりがようやく入れる小さな空間。  木製の椅子に座る。  格子の向こう側に人の気配があった。  姿は見えない。  向こうからも見えないのかな。 「どうされましたか」  穏やかな男性の声だった。  自然と言葉が出た。  私は人を殺した。  相手は患者さんだった。  まだ10代の女の子。  自分の将来を悲観した彼女は、私に「殺して欲しい」と懇願(こんがん)した。  今までの私なら上手に(なだ)めていたと思う。  でも今の私は、彼女の気持ちが分かってしまった。  生きていても仕方ない。  この先いいことも無いだろうし。  私もすぐ()くから。  そう思いながら、彼女に繋がる医療機器のスイッチを切った。  格子の向こうの彼は静かに聞いてくれた。  もう、思い残すことは無い。  御礼を行って立ち上がる。  鞄の中には勤務先から持ち出した薬があった。  死に場所はどこにしようか。  なるべく人の迷惑にならない所にしよう。 「もう少し、いいですか」  不意に呼び止められ足を止める。  私が留まったことを確認してから彼は続けた。 「貴女はひとつの命を奪った。それは揺るぎない事実です。しかし、貴女はひとつの命を救った。それも事実です」  救った……?誰を。 「貴女に拾われた彼は、貴女と出会わなければ今頃この世に居なかった」  何で彼のこと……。 「彼はとても感謝しています。生きていて良かったと」  どうして知ってるの? 「命の重さが平等だとしたら。貴女は何も奪っていない」  まさか……。 「だから。お嬢さんは悪くない」  聞き間違いじゃなかった。  今。この格子の向こうに居るのは――。  約1年ぶりの再会だった。  彼は泣き崩れる私を抱き締めてくれた。  私と出会う少し前。  彼は未成年の少女に対する猥褻(わいせつ)行為の疑いを掛けられ、当時働いていた教会を追われてた。  少女が嘘をついたことを認めて疑いは晴れたけど、もうそこには居られなくて。  それから女の子が怖くなったと苦笑した。  だから私にも手を出せなかったって。  そんなこと知らなかったから。  知ってたら残酷(ざんこく)なこと言わなかったのに。  何もかも上手く行かず、自暴自棄になって死のうとしていた彼を、私が拾った。  彼はまた前を向けるようになった。  私なにもしてないけど。  それが良かったって。 「お嬢さん」  涙で頬に貼り付いた私の前髪を退けながら、彼は微笑む。 「僕と生きてくれないかな」  全てを棄てることになるけど。  それでも良ければ。  遠慮がちに言うのが彼らしいと思った。 「そうしたいけど……許されないよ」  私が彼女の命を奪った事実は消えない。  すぐに後を追うって約束したのに。 「誰かの許しが必要なら。僕が許す」  彼はこの世界で一番、私が欲しい言葉を知ってる。  そう感じたから。  私も彼の一番の理解者になりたい。  そう思った。 ◆  私は死んだ。  ことになってる。  彼は殺し屋の組織にも所属してて。  何かよく分からないけど、人ひとり死んだことにするくらい簡単だって。  昔の私は死んだ。  新しい私は髪を金色に染め目に青いカラコンを入れ、彼の教会でシスターとして働いてる。  一日中、彼と一緒に居られるし。  こんな幸せでいいのかなって思う。  恥ずかしくて死にそうだから面と向かって言えないけど。  私は彼が大好きだ。  彼の為なら私は。  躊躇(ためら)わず人を殺すだろう。  かなり歪んでるけど、それが私の愛情表現。  傷を舐めあう関係でいい。  身体より心で繋がりたい。  隣で眠る彼の頬を撫でて。  私も目を閉じた。 【 完 】
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