第一章・青い瞳の女

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 やがて放水が「肉の壁」にぶつかる音、弾き飛ばされた人が路面を転がりながらあげる悲鳴や怒号が響き渡り、人の波が逆流して本田に向かってきた。道の脇に寄ってやり過ごそうとするが、人波は通りいっぱいに広がり、勢い余って道沿いの商店のガラスを突き破って転げまわる人の姿も見えた。  放水の洗礼を受けた本田はズブ濡れになった。「群衆雪崩」に押し流されそうになっていたところ、強い力で肩をつかまれて路地裏に引きずりこまれた。 「こっちへ来るんだ。通りに残っていると警官に捕まっちまうぞ!」  本田を引きずりこんだのは、ケビン・コスナー風の男だった。放水車の方を見ると、その背後から警棒を手にした警官たちが小走りに近づいてくるのが見える。最近ロシアの官憲は欧米メディアの記者をスパイ扱いしており、拘束して国外追放にする機会をうかがっていると支局長から聞かされていた。無論、日本人も例外ではない。特に反大統領派の取材は、格好のスパイ容疑の口実にされるから注意しろとも言われていた。  男の素性はよく分からないが、ともかくこの場はこいつに着いていって逃れるしかない。迷路のような細い路地を走る男の背中を本田は懸命に追いかけた。  十五分ほど走り続けたところで、古いアパルトマン群に囲まれたロータリーに出た。警官が後を追ってくる様子もなく、逃げおおせることができたようだ。
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