景星

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この日から世界が変わった。職場は年度末をもって辞職。生徒のみんなごめん。学年が変わるまでは勤めたから許してね。銀行で賞金を受け取ったときに仕事はやめないほうがいいとアドバイスもらったが、正直辞めたいと思っていたからちょうどよかった。  肌に涼しい風が当たる。ここは山の上の天文台。今住んでいるところから電車を使って五時間かけてやってきた。日は沈み、東の夜空には夏の大三角が輝いている。 「ここにはよく来るんですか?」 声の主は二十歳くらいのお兄さん。おそらく後ろの駐車場に止めている軽自動車できたのだろう。暗くてわかりにくいけど、私好みのイケメンである。 「いえ、幼いころに来たことがあるだけです。十五年くらい昔の話ですけど」 「幼稚園くらいの頃ですか?」 「いえいえ、中学生の頃で……」  これ、自分の大体の歳言ってしまったようなものじゃん。かすかに頬が熱くなる。 「なんか、誘導してしまったようですみません」 「いえいえ、自分で言っちゃったようなものなので」 天然なのか、狙ってやっているのか。 「帰りはどうするんですか?」 「駅まで徒歩で」 「結構ありますよね、距離」  目が点になる彼。少し間が開いた後、彼は後ろの軽自動車を指さす。 「暗いですし、駅まで乗っていきます?」  確かに三〇分以上薄暗い道を歩くのは不安だ。しばし悩んだ後、返事をする。 「そしたら、お言葉に甘えて」  室内は手入れが行き届いていた。気取った装飾はないが、シートに程よい腰当てがあり座り心地が良い。強すぎないラベンダーの香りが狭い空間を快適にしている。優しく包み込んでくれているかのようだ。 「彼女さん、いるんじゃないですか?」  にやついた顔で彼に尋ねてみる。 「どうしてそう思うんです?」  すました顔でさわやかに切り返す。慌てたり照れたりする事を期待していたのに。 「ひとりだったら助手席にも腰当てとかつけたりしないでしょ?」 「すごいですね」  唸る彼。どうやら推理は外していないようだ。 「それなのに見ず知らずの女性を乗せていいんですか?」 「いいんですよ。もう別れましたから」  これは地雷を踏んでしまったか。 「ですが、その腰当ても、なかなか捨てられないんです」 「なんかすみません」 「いえいえ、お気になさらす。そろそろ着きますよ」  駅前のロータリーで降ろしてもらった後、連絡先を交換して帰った。なんだか放っておけない気がした。別れ際の寂しそうな彼の顔が忘れられない。 それから何度か連絡取りあうようになり、一緒に出かけることもあった。星がきれいなスポットを巡ったり、京都や琵琶湖にプチ旅行したり。 それから数か月後。 「星奈さん。僕はあなたが好きです。結婚を前提に付き合ってください」 「私も好きです。よろしくお願いします」  出会った天文台で告白。学生時代にできなかった恋が始まった。彼は最近仕事がうまく行っているらしく、羽振りも良くなっていく。彼の車もスポーツカーになり、私の誕生日にはブランド物のバッグを買ってくれた。職場で悩んでいたあの頃と全く違う生活で、人生で一番楽しい時間だった。はずだった。
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