勝者は彼に告白を

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 恋をする。それはまるで呪いのように心を縛り付ける感情だ。  相手のことしか考えられなくなり、相手の言葉や行動で精神を掻き乱される。  そして、その苦しみを補って余りあるほどの幸せが、恋にはあった。補って余るだけではない。その幸せは身体中から溢れ、垂れ流れる。 「随分と幸せそうだね、梨花」  美沙子にそう言われた梨花は蕩けたようなだらしない笑顔で頷いた。 「そりゃそうですよ、夏菜子さん。だって、あの木坂先輩ですよ。あの木坂先輩と手を繋いで、ついでに足を触られたんだから」  梨花は自分の右膝を撫でる。まだ新しい学校指定スカートの裾から覗くそこには小さな絆創膏が貼ってあった。  あまりにも浮かれている梨花に夏菜子は言う。 「変な敬語やめなさいよ。それに手を繋いで足を触られたんじゃなくて、木坂先輩に見惚れてたら、すっ転んで怪我をしたから立ち上がるのを手伝ってもらって膝に絆創膏を貼ってもらっただけでしょ」 「それでも私にとっては大きな幸せだったのよ」  梨花の表情からは眩しいほどの幸せオーラが溢れていた。 「まぁ、梨花が木坂先輩に憧れてるのは嫌というほど聞かされてきたけど。嫌というほど」  夏菜子は言いながらため息をつく。 「あれ、夏菜子さん。どうして二回も言ったの?」 「嫌というほどね」 「あ、三回目だ。そんなに?」 「そんなに。それはいいんだけどね、あんまり朝の教室でしていい表情じゃないわよ、それ」  そう言われてようやく梨花は自分の表情が溶けきったアイスのようだと気づいた。恋の熱に溶かされたアイスは、元々固体であったことを忘れたように、だらしないものになっている。  しかし、それも仕方のないこと。  季節は春。それも峯岸 梨花が高校生になったばかりの春なのだから、心が浮つくのも無理はない。  高校一年生になった梨花は入学式の日に校内で迷子になった。既に入学式は終わり、全校生徒が下校した後だったのだが、梨花は校内を彷徨っていた。その日に提出しなければならない書類を家に忘れていた梨花は、一度取りに帰ってから学校に戻ってきていたのである。  その頃には日が沈み始め、生徒のいない校内は寂しさを感じるほど静かだった。慣れていない校内で迷っていた梨花は、言い表せないほどの不安に襲われ、なんだか泣き出してしまいそうになる。  もう諦めて明日にしようかと思い始めた時、背後から声をかけられた。 「新入生かな。大丈夫? もしかして迷子?」  その声は雪山に突如現れた暖炉のように暖かく、起きなければならない時間の掛け布団のように優しく梨花を包み込む。  梨花が振り向くと、そこにいたのが例の木坂先輩だった。  木坂は梨花を不安にさせないように優しく言葉を続ける。 「この学校、無駄に広いもんな。迷ってるなら案内するよ」  見惚れてしまった。自分よりも高い背、程よい筋肉がわかる腕、優しい笑顔、そして澄んだ瞳が梨花の視線を支配して離さない。  黙っている梨花に近づき木坂が首を傾げる。 「あれ、怖がらせちゃったかな? もしかして困ってなかったとか。だったらごめんね」  嫌味なく微笑む木坂。咄嗟に梨花は首を横に振った。 「あの! いや、その困ってました! もう、めちゃくちゃ困ってました。困りすぎて狛犬になるところでした」 「ははっ、何それ。狛犬って困ってるから狛犬なの?」  木坂は無邪気に笑う。  窓の外で春風に揺れる木の枝が、梨花の心のようだった。
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