怒り

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 朝食は、リビングのテーブルの上に、きちんと並べて配膳されていた。ソファに二人が並ぶ配置だ。少年が昨日座った席側には、白いノートが閉じて置かれていた。  「……日記を書いているの?」  シュンがぎこちなく尋ねると、少年もぎこちなく応じた。  「いいえ。……詩を。」  し、の一文字が、とっさに詩と結びつかなかった。死、に聞こえて、シュンはぎくりとした。そして、ああ、詩か、と理解し、全身の緊張を解いた。  「詩か。才能があるんだね。」  「ないですよ、そんなもの。」  お互いの距離を測るような、薄氷を踏むような会話だった。  それでも、とにかく会話をする意志があることだけが救いだった。  「聞かせてくれる? 自信作を。」  「恥ずかしいからだめです。」  「どうして? 詩が作れるなんて、すごいじゃない。」  「下手くそなんですよ。」  そんな会話を、ごく制御された声量と抑揚で交わした。少しでも間違えたら、足の下の薄い氷が割れて、下の冷たい水に落ち込んでしまうとでも言いたげに。  トーストとコーンスープの朝食は、すぐに終わった。かしゃかしゃと、健少年が食器類を重ねてテーブルを片付ける。  俺がやるよ、とシュンは言ったのだけれど、健少年は頑なに首を横に振った。俺が姉ちゃんとシュンさんの部屋にお邪魔しているんだから、と言って。  この部屋はあくまでも美沙子の部屋で、シュンの部屋ではない。その事実を伝えるには、健少年は健康的すぎた。だからシュンは、ありがとう、とだけ言って、ソファに座っていた。  リビングから薄いドアを挟んだキッチンから、皿を洗う物音が微かに聞こえてくる。  シュンはそれを聞きながら、自分はどこに行けばいいんだろうか、と考えていた。  美沙子は、シュンを外に出したがらなかった。そのために、在籍していたキャバクラ店をやめ、短期間で金を稼げる出稼ぎ風俗嬢になったくらいに。  だからシュンは、毎日家にいた。美沙子がいないときでも、なるべくは。時々外に出て、女を連れ帰ったりしたこともあるけれど、それはさすがに今やったらまずい。  そうなるとシュンは、どう時間を過ごしていいのか分からなくなる。リビングで健少年と二人で肩を並べているのも不自然だと思うし、だからといって寝室にずっとこもっているのもどうかという気がしなくもない。  健少年は、なかなか戻ってこない。トーストを乗せていた皿を二枚と、スープ皿を二枚洗うだけにしては、あまりにも長い間、水音は続いていた。  多分、健少年も、これからどう過ごしていいのか分からないで戸惑っているのだろう。  そう思ったシュンは、立ち上がった。  立ち上がって、そのままリビングからキッチン、そして玄関へ続くドアを開ける。  とりあえず、健少年の前から姿を消すのが正解だと考えたのだ。
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