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あふれてしまう想いを口ずさむ。歌にしてしまうと、後戻りができなくなることは分かっていた。それでも、指はコードを選んでゆく。ときに、手を止め、五線紙に書き足すのは、あずさへの、嫉妬か、欲望か、愛情か。
はたまた、全くの別ものか。
ボブから覗く、ワインレッドのイヤリングカラー、マキシ丈のチュールスカート。ライブハウスの最前列でパイプ椅子に座り、俺を睨みあげていた女。
―――下手くそ。
俺らのバンドが軽音部の延長だと、分かってはいた。
姉貴の彼氏が俺にギブソン・レスポールをくれたのは単に断捨離中――姉貴の影響でミニマリストになるらしいーー、だったからで、弾き始めたのも、ただの遊び。ほぼ自己満の内輪ばかりの初ライブは、まぁこんなもんじゃねーの、無料だし、というゆるい雰囲気で、終わった。
……のに。
―――耳悪いの? 下手くそ。
―――は?
出待ちしといて、悪口?
―――こーら、紫呉睨み返すな。
やぐさんが俺の頭にずしっと腕を乗せた。いつもの、寝てんのか起きてんのか微妙な細い目をさらに細め、マイナスイオンでも出しながら微笑んでるんだろう。俺はこの人が怒っているところを見たことがない。
―――無個性な残念ギブソン。
―――アンタこそ、ライブハウス初めて? ひらひらした服にパイプ椅子とか、常識ねー。
―――アルペジオがグダる初心者にギブソン? 豚に真珠。宝の持ち腐れ。馬の耳に念仏……は違うな。
つらつらと訳の分からないことを言われ、油断した。
背負っていた紐を強引に引かれ、つんのめる。抵抗する間もなく、パイプ椅子女はするりと俺のギブソンを奪った。ケースを開き、ギターを取り出した。翻すよう紐を引っかける。
―――ギブソン・レスポールはこうやって、歌わせるんだよ?
仏頂面、からの、八重歯をのぞかせた笑顔はふいうち。弾かれた弦は、一瞬にして、その場の空気を震わせ。
燦然とした光を放ち、メロディアスで伸びのあるコードは、俺が知らない俺の部分に、深く、くい込んだ。
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