韓国へ

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震災から1か月 ようやく、 ガソリンスタンドも開き 車が使えるようになった。 そのほかのライフラインも ほぼ復旧した。 しかし、 雨漏りを防ぐため、 瓦が落ちぬように、 屋根にブルーシートを載せている 家がたくさんあった。 市内に出れば 老朽化したビルの取り壊しや 道路補修しているところ 至る処で 工事の槌音がしていた。 自衛隊の『災害支援』をかかげた トラックと毎日遭遇した。 由紀の団地の被害は 少ない方だったが、 近くの小学校の 体育館の硝子が壊れ 避難所の機能を 果たせないでいた。 卒業式も 視聴覚室で 執り行ったという。 団地の中でも、 地盤が弱いところは、 家が全壊したり 塀が倒れているところもあった。 沿岸部の被害は、 甚大だった。 津波で家が流され、 基礎部分だけが残り どこまでも見渡せる …そんな地域もあった。 学校の校庭や公園などには 次々と仮設住宅が建設された。 子どもたちの遊び場が少なくなり、 家に帰っても 狭い場所で辛抱しなければならない。 原発事故で、 故郷を離れざるを得ない人たちもいた。 いつ帰れるともわからず。 街の復興も、 心の復興にも 時間が掛かるに 違いなかった。 由紀はどうすべきか、 迷っていた。 父は、 震災復興のため、 しばらく激務が続きそうだった。 両親を残し 東京へ帰るべきか。 このまま退職し、 仙台に残るべきか。 それに、チソンとのこと… 父とチソンが話したことは、 聞かされていた。 よく話し合うように とも言われていた。 「チソンさん、 正直な気持を言ってもいい?」 「もちろん。 そのために、話すんだから。」 「私ね、自信がない。 何をしたいのかも、 よく分からなくなった。 ジュエリーデザイナーになりたくて 頑張ってたけど、 それって、 今必要なんだろうか、とか 故郷が大変な時に、 そこを離れて 東京でのほほんと暮らしてて いいのかな、とか。 もちろん、東京も大変らしいし、 皆がずっと張り詰めているべきだ とか思ってるわけじゃないの。 自分が今 何をするのが一番いいのか わからないの…」 「由紀が、 責任を感じる必要はないと思うよ。 ただ、今まで通りには出来ない という気持ちも分かる。 知ってしまった以上、 知らなかった昔には戻れない。 それは、 僕と由紀の関係も、そうだろ? 好きという気持だけで 突っ走ることはできないけど 何もなかったことにも できない。 違う?」 「そうね。 東京に1度戻って、 それから元の仕事に戻るか、 辞めるか、別の仕事をさがすか、 考えようと思う。 その前に、 韓国に連れて行って欲しいの。 お母様に会って、 お礼を言いたい。 助けに来てくれた事 父を救ってくれたこと。 それだけは、したいの。」 「分かった。 新潟までの高速バスは復旧したから、 新潟に出て、船で行こう。」
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