結婚へ

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チソンは、 韓国の会社を退職し 災害支援ボランティアをしながら 日本の建設会社の 入社試験を受けていた。 どこも人手を求めてはいたが、 中々大手の会社に 採用にはならなかった。 そんなある日、 面接のない日だったので いつも通り、 災害支援ボランティアで 被災地を訪れ 作業していた。 ボランティアも回数を重ね 同じ支援団体での 活動をする事が増えてくると、 自然と、 そのグループの リーダー的存在になっていた。 そんなチソンの様子を 少し離れた場所で 見ている初老の男性がいた。 チソンがそれに気づき、 「何かお困りですか?」と 声を掛けた。 「ええ、まぁ…。」 「もし、ボランティア派遣を ご希望なら、 向こうの方に テント張りの簡易事務所 あるの、見えますか? あそこで受け付けしてますので。 手が空いたグループから 順に手伝いに伺いますので。」 「君のグループに来てもらうことは、 出来ないのかな?」 「そうですね。 今、ここを作業中なので、 今日は、行けないかと思います。」 「そうなんだね。 作業を邪魔して申し訳なかった。 いつも来てくれて、 ほんとに助かってるよ。 ありがとう。」 また、別の日 休憩で、チソンが休んでいると 例の男性がやって来た。 「やぁ、いつもご苦労様。 君たちのお陰で、 この辺りもずいぶん片付いた。」 「ああ、どうも。 先日の方ですね。 お宅は、片付きましたか?」 「まあ、お蔭様で… ところで、 よくここへ来ているようだけど、 学生さんかい?」 「求職中で、面接のない日は ボランティアに来てます。 実は、韓国人で、 こちらの大学を出たわけでもないので、 苦戦してます。」 「そうなのか。 で、韓国では、 どんな仕事してたんだい?」 「建設会社にいました。 就職したばかりで、 辞めてしまったんですけど。」 「せっかく就職したのに、 何でまた…」 「ちょうど、 東日本大震災が起こって、 日本に知り合いがいたのですが、 津波で流されたかもしれなくて、 休みをもらって、日本に来ました。 知り合いは、無事だったんですが、 被害が凄いなと。 自分にも何か出来たらと 建築の知識が活かせたら と思って、日本に来ました。」 「そうだったのか。 他人事とはおもわず、 自分の仕事を投げ打ってまでして 来てくれて、ありがとう。」 その男性は、 チソンの手を押し頂くように 感謝の言葉を述べた。 「実はね、 私も小さいが建設会社を やっているんだ。 大手との繋がりもあって、 仕事はこれまでも常にあったんだが、 何しろこの災害だ。 今は、 猫の手も借りたいくらいの 忙しさでね。 かといって、 手抜き工事をしたら、 人災になってしまうからね。 誰でもいいと いうわけにはいかないんだ。 先日、 こちらの現場を見に来たとき ボランティア作業しているのを見てたら、 君が目についてね。 もし、良かったら、 うちの社に来ないか? 名刺を渡しておくよ。 もし、気持ちがあるなら、 電話して欲しい。 事務所にいない日も多くてね。」 そう言って、男性は帰っていった。 『千田建設』 調べてみると、小さいながら 堅実な仕事で 評判の良い会社のようだった。 これまで、 大手の会社、と思い 試験を受けてきたが、 よく考えてみれば、 復興の仕事は、 その地域をよく知る 地元の企業の方が 良いのかもしれない そう考えた。 仙台に戻った後、 もらった名刺の会社に電話をし 社長を訪ねた。 「ぜひ、御社を受験したいと思い、 今日は伺いました。 特別扱いは希望しておりません。 一般の方と一緒に 入社試験を受けさせていただきます。」 「それなら、手加減は、しないよ。 それでも、大丈夫。 私の目に、狂いはないはずだ。 期待して、待ってるよ。」 受付で、試験要項をもらい、 履歴書と韓国から取り寄せた成績証明書を添付して郵送。 試験日を待った。 書類審査は通り、 筆記試験と 面接試験の日程の連絡が来た。 筆記試験に合格 後は、面接だけだ。 面接に社長も同席していたが、 あえて発言せず、 他の面接官との やり取りを聞いていた。 数日後、採用の連絡が来た。 由紀と、由紀の父にも知らせた。 「チソン君、おめでとう。 『千田建設』さんは、 堅実ないい会社だ。 もし、良かったら、 会社に出す書類の 身元引受人に、僕がなるよ。」 「ありがとうございます。 実は、ソンジユの叔父さんに お願いしようと思ってました。 他に、 こちらに知り合いがいないので。」 「君は、命の恩人だ。 それくらいは、 させてもらうよ。」 チソンは入社すると、 仙台市内だけでなく、 宮城県内、 東北各地の復興工事に携わった。 やがて、 由紀が子会社に出向と同時に 仙台勤務となったのを期に、 ふたりは結婚。 チソンは日本国籍を取り、 「田中 孝」と名前を変えた。 数年後、 仙台での働きぶりが、 親会社の目にとまり ヘッドハンティングされた。 孝(チソン)は、 千田社長への恩もあり 断るつもりだった。 しかし、社長に 「東北の復興もまだまだだが、 君を必要としている場所が 他にもあるはずだ。 私に遠慮は、いらん。 チャレンジしたみることだ。」 と背中を押され、 大手建設会社の社員となり、 旭川支店に転勤することとなった。 旭川近郊は土地も安く、 家を建て韓国から、 母と弟を呼び寄せることになった。 由紀は、 ジュエリーメンテナンスや 思い出の宝石を使った新しい アクセサリー (リサイクルアクセサリー) の仕事をネットで受けたり、 以前の会社から 請け負ったりしていた。 孝(チソン)の母は、 漬物が得意なので、 キムチ漬けの教室を開いたり、 近所にお裾分けするなどして 交流を楽しんでいた。 年の離れた弟は、 猛勉強の末、 旭川医科大学に入学 医者を目指すことになった。
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