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悪癖のある彼女の、最後の日。
それは2人でバスを待っている時もあれば、食後のコーヒーを飲んでいる時など 他愛のない時間だけじゃなくて、口論の真っ最中でも始まる。
内容なんかは本当に突拍子もない。「もしも100万円手に入れたら」だったり「無人島に一つだけもっていけるなら」もあれば「起きたらインドゾウになってたら」なんてのもあったな。とにかくゆらはそういう「例えばさ」から始まる"もしもの空想話"を何かにつけてする節がある。最初はちょっと不思議な子だな、なんて可愛らしく思っていたけど ここまでくると、もうこれは"悪癖"だと俺は思う。
「ねぇ、りょーちゃん。聞いてる?」
「はいはい、聞いてるよ。」
同棲し始めて一年と少し。付き合ってからは三年。ごく普通なサラリーマンの俺と、駅前のアクセサリーショップで働くゆらは、休日もバラバラ。それでもなるべく一緒に夕食を取ろうと 同棲を始めた時にした約束は お互いの生活パターンに配慮しつつ緩く守られてきた。料理はゆらも俺も嫌いじゃないので、ゆらの仕事が早番の日はゆらが料理を、そうじゃない日は俺が担当している。時にはスーパーの惣菜の時もあるし、デリバリーを頼んだりもするし、最近はもっぱら控えているものの、以前はよく二人で近所のダイニングバーにも行っていた。
今日はゆらが休日、俺は仕事だったので 引越しと同時に2人で選んで買ったダイニングテーブルには、ゆらが作った煮込みハンバーグやポテトサラダ、コンソメスープが並んでいる。
食事も半分ほど食べ終え、俺は一日2本までと決めているビールの内1本を飲み切り、いざ後半戦へとしけ込むところだった。彼女の悪癖が、今日も始まる。
「だからね、例えば 人生最後の1日には何を食べたい?」
俺に出したハンバーグより一回り小さいハンバーグを、ゆらは箸で最初から一口サイズに切り分けて食べる。肉汁が出て勿体無いなと思うけど、ゆら曰く「猫舌だから、こっちの方が早く冷める」らしい。小さくなった肉塊にソースを絡めながら食べるゆらが、ニコニコしながら俺に問いかけてくる。
「え、人生最後の日?…いや、けど俺がヨボヨボのじいちゃんだったら、食べたいものも食べられないかもしれない可能性もあるよな。」
一応、俺も健康には気を遣っているつもりだ。特に同棲してからは、上限なく飲めるだけ飲んでいたアルコールもほどほどに控えるようにしているし、ゆらのいない休日には、近所のジムに通って定期的な運動も始めたところである。そんな健康志向の俺が、いきなり人生最後と言われてぼんやりと思い浮かぶのは、自分が老いた姿で震えながら箸を持つ姿だ。どちらかというと、食べたいものというより食べられるものを探す方が早いかもしれない。モチとか、食えないだろうし。
「もっと短絡的に考えて!例えば、1週間後地球に隕石が落ちるとか。」
「いや、そしたら食べたいものとか流暢にいってられないんじゃない?」
もー。りょーちゃんはそう、いつも真面目過ぎるんだよ…とぶつぶつ呟きながらゆらは席を立って、冷蔵庫からビールを取り出した。唇を尖らせながらも、俺に「はい。」と冷えたそれを差し出してくる。ありがとう、と受け取りプルタブを引くと、缶ビールが手元でプシュッと小さく音を立てた。
もし1週間後 地球に隕石なんて落ちる時がきたら、平凡な俺では想像もつかないくらい世界は大騒動なんじゃないのか。それこそ飲食店もスーパーもやっていなければ、電気だって通っていない可能性も高い。そんな中で食べたいものは、食べられないんじゃないのかと俺は首を捻り、そのままビールを流し込んだ。
「なんとなーくでいいんだよ!あ、私はねえ、ママが作ったコロッケ!」
「あぁ、美味しいよな。ゆらのお母さんのコロッケ。」
「うん!最後は絶対にあれが食べたいっ。」
「けど、全てが終わる瞬間にコロッケ作らされるお母さんもかわいそうな気がする。」
専業主婦であるゆらのお母さんは、ゆらを含めて3人の子供を育て上げた立派な女性だ。何度か会ったことのある彼女とゆらは、顔立ちもなんとなく似ているが、特に似ているのは笑い方だと俺は思う。満面の笑みで楽しそうに声を上げてわらう親子。ゆらが最後に食べたいというコロッケは、俺が初めて挨拶に行った日に、お母さんが作ってくれた料理でもあった。カリカリの衣はこんがりと狐色に上がり、下味から少し濃いめに作るお母さんのコロッケは、確かに美味かった。
最後の俺の一言を聞いてゆらは、だからあ、とわざとらしく大きくため息をついて、またも芝居掛かった嫌な顔を作った。
俺は、このやりとりが嫌いじゃない。
「俺は…この、ハンバーグかな。」
「どうせ、機嫌取りでしょう?」
「いや、本当に。」
ゆらが作るハンバーグは、必ず煮込みハンバーグだ。付き合ってすぐの頃、まだ料理に慣れてなかったゆらが初めて作ってくれたのは、外は黒焦げで中はピンク色、ようは生焼けのハンバーグだった。ごめんね…。と今にも泣き出しそうな声でか細く呟いたゆらは、それからどれだけ料理の腕が上達しても、生焼けを恐れてずっと煮込んだハンバーグしか作らない。何度も作ってもらった、俺の中での定番の味だ。
「けどなあー。最後の最後に、ハンバーグ作るのもなー。」
ニヤリと笑いながら、俺の言葉の揚げ足をとるゆらは、すぐに言葉の意味を深追いしたりしてしまう俺と正反対で、自分の感情がそのまま顔に出てしまう。良いことも、悪いことも。よく笑いよく泣き、顔を真っ赤にして怒るゆらに出逢えてよかったと心から想う。ゆらのように顔にも、口にも出しはしないけど。
「けど今日は、記念日だから作ってくれたんだろ?俺が好きなの知ってるから。」
「えへへ、流石にハートにはしなかったけどねっ。」
そうだ、そういえばゆらが作った黒焦げハンバーグは、歪だったがハートの形になっていた。当時のことを感慨深く思い出しつつ、俺はこっそりポケットに入れていた小さな箱を取り出した。
「ねえゆら。これから一生、このハンバーグ作ってよ。」
今日は付き合って、三年目の記念日だ。俺はお母さんのコロッケは作れないけど、自分なりに精一杯の愛を示していく所存ではあるんだよ。俺は正面に座るゆらの目の前で、手に収まる程度の黒い箱をそっと開いてみせた。ゆらは最初に驚いた顔をしたと思えば、目を見開いて大粒の涙を流して、顔をくしゃっとさせる。忙しいやつめ。
「あたりまえじゃんっ!。」
それから、人生最後でも地球最後の日でもない、独身最後の、煮込みハンバーグだねと、ゆらは声を上げて笑った。
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