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真実の木漏れ日
わたしゃ、騙された。
10代のころ、会ったとたんに一目ぼれ。
互いに、ビビッと来たね。
相思相愛、熱い恋人どうしさ。
それも、つかの間の幻だった。
わたしゃ、騙されたのさ。
身も心もぼろぼろ。
今じゃ、こんな有様。成れの果てさ。
街はずれのひっそりしたバーの中、四十路あたりと思しき女が、店主に向かってつぶやいていた。
狭い店だった。客は中年女と、もう一人、男がいた。
男は、中年女より、若干年下のように見えた。パリッとした服装をして見るからに成功者といういで立ちだった。男は、詐欺師のような生業を経て現在に至る悪辣者だった。
男は、優しい感じの風貌とは裏腹に、人を騙して陥れるのをなんとも思わないサイコパスだ。この男は、数えきれないほどの女を食い物にし、ヒモのような立場で金を巻き上げたかと思うと、それが縁の切れ目となるのか、男は消えるのだ。いつしか、自ら苦労して稼いでない金を元手に事業を立ち上げ、成功した。といっても、この成功も詐欺すれすれの行いで得たものだった。いわゆる、グレーゾーンだ。
グレーゾーンとは、この男を表すのにしっくりくる言葉そのものと言えよう。
男は、頭が切れた。グレーがブラックになる直前に会社を売って海外に居を構えたのだった。男は、元手の金を運用し、それがうまくいった。今日、生活は悠々自適で金には困らない。セミリタイアした男は、暇にまかせふらりと日本に帰ってくるのだった。
男には、今までの悪辣な行動がたたっているのか日本に友人は一人もいなかった。それでも、日本に帰りたくなるらしい。まさに今、日本に戻ったタイミングで、地元にふらりと訪れた。
それが、このバーだった。
男は、見慣れないバーだと感じた。しょっちゅう地元に帰っているわけではないから、新しくできたのだろうと思った。店構えは洒落ていて白い壁に「deceive」と店名のようなものが掲げてあった。男はdeceiveという意味が分からなかったが、扉を押して中に入ってみたのだった。
店のなかは、ザ・昭和な感じだった。男はなにか騙されたような気になったが、まあいいかと隅にあったテーブル席につき、スコッチロックをオーダーした。男はささっと一杯飲んで、店を出ようと思っていた時、店にいた中年女の大声のつぶやきを耳にしたのだった。店主は、女に口を挟まず、頷いているだけだった。
男がグラスを空にし、
「勘定してくれ」と言ったとき、中年女が男の方に向いた
「お前、わたしを騙した男だな」
中年女はカウンターのスツール席にいたが、男の方にいきなりつかつかとやってきて、男に悪態をついた。
「は?」男には訳がわからない。見たこともない女だった。
「わたしゃ、お前のせいで落ちぶれた」
「人違いだろ」
「その顔、ほんに腹が立つ。お前みたいなやつは、居らん」
女は、そういうや否や上着の内ポケットに隠し持ったナイフを取り出し、男の胸に一刺しした。ぐいっと胸の奥までやられた男は瞬殺された。
「さ、これで済んだ。帰りなさい」店主が中年女に声をかけた。
「でも」
「お代は、もう頂いているからね」
「ありがとうございました」中年女は、長い髪だったものを、ばっさりと取った。髪はかつらだった。中年女と見えた人物は、端正な顔立ちの男だった。華奢で、線の細い体型が女を演じても遜色なかった。うらぶれた感じの化粧をしていたが、タオルで顔を拭い、本来の男性の顔に戻った。その表情は晴れ晴れとして、生気が新たに宿ったように見えた。
「この男、双子の姉さんをボロボロにした、くそ野郎だった。姉さん、こんな形でしか復讐できなかったけれど、許してね」
「もう、終わったよ。さ、忘れて。過去はここに置いていきなさい」
「わかりました。もう、僕は大丈夫です」
男性の双子だった姉は、精神を病み若くして老女のようになり、挙句、自殺をしたのだった。
いつか、男に復讐してやろうと思うも、男性には男の所在がわからない。そんな時に知った店主の存在。店主は、悩みを抱えて苦しんでいる者のところに、ふわりと現れ、
「悩みを取り払ってあげるよ。どんな風にしたいのかな」
優しく包み込まれるような眼差しは、悩める者を裏切らない。
次の日。バー「deceive」は跡形もなく、消えた。白い壁には何もない。扉を開けると、何もない一室だった。息絶えた男の形も影すらない。血の匂いもしない。木漏れ日のような優しい光が漂うばかりだった。
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