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母さん、だいぶ足辛いんだってね。車乗ってても、ブレーキ踏むのがしんどい時があるんだって。そっちこないだ雪降ったんだろ。がたがた運転して、えっらく足に響いたんだって。
淡々と、弟は言った。
弟が言っていることは、わたしも全て知っていることだったのでーーというより、多分、遠方にいる弟より、わたしのほうがよく分かっていることなのでーー今更感しかなく、相槌も打てずに黙っていた。
「でもあれ、買ったばかりやん」
わたしは言ってやった。
今、母が乗っているのは後部座席に車椅子を乗せることができるタイプのものだ。
今年の夏、父が熱中症で倒れた。すぐに救急車で運ばれたが、単なる熱中症だけではなく、色々なものが併発してしまい、ついに父は歩けない人になった。
歩けない状態で帰ってきた父は、以前の彼ではなくなっていた。母は、その父のために、今まで乗っていた軽四を手放し、車椅子を乗せることができる車を購入したのだ。
その後、言葉では言い尽くせないほど様々なことがあり、先月、父は町の特養に入所した。
その経緯なら、間近で見ていたわたしがよく分かっている。
同居ではないけれど、同じ町に住んでいるので、毎日のように行き来しているのだ。
「新しい車ってのは分かるけれど、だって、もう使うことないからって」
弟は、それが癖の、のんびりした調子で言った。
「母さんがそう言ったんだよ。持ってたって仕方がないって」
「なんで、東京にいるあんたに、車のこと言うのよ母さんは」
わたしは、怒っているように聞こえないよう細心の注意を払いながら言った。
「俺のほうが車に詳しいからやん。ってか、俺、車の仕事してるし」
弟は気軽そうに言うと、いきなり早口になり「じゃ、今週末、業者来るっていうから、ねえちゃん多分休みなんだろ、立ち会ってやってよ」と言って、電話を切ってしまった。
ツー、と電話は無機質な音を耳元て立てた。
車の中は、相変わらずもの悲しい懐メロが流れている。
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