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父が入院し、すったもんだの後、施設に入所するまでの間、母が父を車に乗せて運転したのは、多分、通院時だけだったのではないか。
あの、銀に輝く立派な福祉車両は、わたしの中では、ある美しい風景の中にあった。
海や、デパートへの買い物や、和菓子屋に行くために、使われるはずだった車。
かつて強くて厳しくて、絶対に女にものを言わせたがらなかった父が、幾分丸くなり、優しくなっている。
その父が車椅子に乗り、母が小さな手で押して、車の後部に入れる。がちゃん、がちゃん。折りたたまれているスロープを地面に降ろす。
ベルトをつけ、きちんと固定する。大丈夫、これで安全。がったん。後部のドアを閉める。その時だけ、母はちょっと顔をしかめる。
なんだか、車椅子を乗せた後、後ろの扉を閉めるのって、荷物をトランクに入れたみたいで、嫌じゃなぁい?
そんなことを、いつだったか母が言ったことがあった。
馬鹿だね、考えすぎだよ、と、言ってやった。
とにかく、わたしの中にある美しい妄想の中では、母は後ろに父を乗せ、楽し気に快適なドライブをしている。
どこでも安心してゆくことができる。
夫婦でデートのように、買い物ができる。
車さえあれば。
(結局、なんら良いことはないまま、車とはサヨナラ)
弟からの電話が切れた後、なんとも複雑な思いが渦を巻いた。
けれども、現実は不可抗力だ。どうして、とか、大丈夫だよ、とかいう言葉は無意味だし、せっかく決意した母を苦しめるだけだろう。
引きずられる、母の右足。
辛そうに手すりにしがみつく、後姿。
(ずいぶん、老いた)
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