わたしのお迎えで

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**  日曜日に車の業者が来るということで、その日、朝から実家に行った。  母は驚いて「アンタ来なくてもいいのに」と言った。  「なにぃ、あいつから何も聞いてないの」  わたしは呆れた。立ち会ってやってよ、と言われたから来たのだ。  弟は、母の意思を聞かずに、勝手に心配して、わたしを母のもとにやったらしい。  「九時には来られるよ。すぐだからね」  母はお茶を出してくれながら言った。  覗くと、お座敷にはちゃんと、菓子皿と座布団が用意してある。  「あのねぇ、車手放すの、ごめんね」    お茶を啜っていると、いきなり母が言った。  何を今更、と思ったので黙っていた。チラ見すると、母は無表情で新聞を眺めていた。  「父さん、あっちに入ったじゃない。そしたらもう、あれ使って父さんをどっかに連れてくこと、もうないじゃない」  メンテナンスとか、車検とか、色々あるじゃない、保険とか。  お金の負担のことを、母は言った。  「だから、持ってても仕方がないから」  事情はよく分かるので、それについては頷くしかなかった。  けれど、一応言わずにはおれなかった。  「でも、特養ったって、外泊とか、外出とか、できるんでしょ。お盆とかうちに帰って、一泊してからまた施設に戻るとかさ」  施設入所者でも、家族の希望で数日の間家に停まったり、家族と一緒の時間を過ごす例はあるはずだ。  「ばかねえ、あんた、このご時世、面談も難しいよ」  母は淡々と言った。    母の目に涙はなかった。  全体的に、母はカサカサしているように見えた。  かわりに、わたしがウルウルと来た。  これはまずい、と思った時、不意に母が言った。  「まだ時間あるじゃない。あんた隣に乗って。少し近所回ってみたい」  えっと聞き返したら、母はもう立ち上がっていた。  「運転したいんだよ。ね、最後の運転」  何となく、投げ捨てるような声音だった。わたしとしては、母の表情をよく確かめたかったけれど、もう母は玄関に向かっていた。  早く、と、急かされて、靴を履いて外に出ると、車はもう、ブルブルとエンジン音を立て、排気ガスが真っ白く上がっていた。    施錠する必要もないくらいの近所を、ただ走るだけ。  最後のドライブ。  「ねー、乗ってよ。あんた乗せて走るの久し振り」    ざー、と、助手席側の窓が開き、妙にさばさばとした母の声が聞こえた。  乗り込むと、シートベルトを締めるのを待たず、車は発進した。ねえちょっと、と、抗議しながら母を見ると、ぐっと口を引き締めて、眉をひそめながら前方を確認する横顔があった。    感傷に浸っている暇はないのよ。  生きて行かなきゃいけないんだから。  そう、聞こえた気がした。けれど、ラジオが陽気に鳴り出したので、母に聞き返すことができなくなった。
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