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どうして、てワラワラと現れる女性達にきっぱり断りを入れないのか。
...要らない、と言えなかったのだ。
その、悲しみを知っていたから。
どうして、早い者勝ちで恋は実らないと言ったのか。
...その、実らない母親の痛みを見ていたからだ。
自分の存在が、次の命より軽い事を知っていたからだ。
どうして、弾かないピアノをわざわざ買ったのか。
苦しかったはずの時間を思い出させる物を、わざわざ買ったのは、まだその時間を、願った日々を捨てられなかったから。
その願いを、松山の父親は最悪の言葉で叶えた。
……もう捨ててしまえばいい。
要らないと、蹴飛ばしてしまえばいい。
「負荷がかかると思うんです」
「ん?」
松山の肩に額を押し付けて、淳は松山を口説くつもりで口を開いた。
「自分に合わない重さの物を、持ち続けるのは良くないんです...どこか痛くなっちゃいますよ」
しん、と音が無くなった。
松山がその表情をどう変えたのかは分からない。
でも、淳にはそうするしか思いつかなかった。
「痛くなってしまった所は、私ケアします。...それに、早く直して、今度は私を持って貰わなきゃいけないので」
ずっと、持っていて貰わなきゃいけないので。
そう言った淳の声が、少しだけ開いた窓からの風に流れて溶けた。
松山が苦しんで来た年月を、今日知った自分が簡単に捨てろと言っていいはずは無い。
それをわかっていても、いつかの松山の言葉を借りて口説くしか、淳には手立てが思いつかなかった。
しなやかに立ちながら、その胸の中は今にも崩れそうな松山を、どうしても引き止めたかった。
「……もう、あの人に会う事もないと思う。断った俺は…今度こそあの人に必要ない人間だから」
苦笑いに乗せて松山が淳の熱くなった背中を撫ぜた。
いやだ、松山のこの必要のないという言葉が。
どうして、あの父親主体の表現なのか。
でも、何年も何年も悩み、苦しんだ結果がそこだったのだと思う。
愛されたいと、焦がれて。
必要とされたいと、願った日々は長く。
松山の心は疲れて諦めてしまった。
ほんの数ヶ月、彼を愛しただけの自分に何が出来るだろう。
分からなかった。
でも、諦めたり出来ない。
彼を、癒してあげたい。
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