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翌日、淳は配達を終えると一度松山を訪ねた。
松山はいつもと変わらずに開店準備を終えていて、昨日の事など無かった様に、背筋を伸ばしてカウンターに居た。
「淳、お疲れ様。何か飲む?」
「いえ、今日は母に買い物を頼まれてて」
松山に、初めてついた嘘だ。
気をつけていくんだよと微笑まれて。
頷いて店を出た。
あの後、到底眠れそうも無い頭で彼の父親に対する怒りに震えながら。
でも、その時に疑問が浮かんだのだ。
あれ程までに打ちのめす父親を、どうして松山は求め続けたのだろう。
どうして、母親は彼を愛していられたのだろうと。
自分ならきっと、早々に嫌気がさして。
父親に対するものは、憎しみに変わると思う。
でも、松山から感じたのは憎しみではなく悲しさだった。
……このまま、その気持ちだけで終わっていいのだろうか。
松山の母親が、あんなに綺麗に笑える意味が、何か知りたかった。
それが、その気持ちが松山を癒せる手立てになるのではないか。
深夜に申し訳ないとそう謝りを入れ、昨夜のうちに松山の母親にメッセージを送っていた。
浅い眠りの中で早朝、通知音に飛び起きた受信画面には、今日夕方の時間が記されていた。
「遅れてすみません」
待ち合わせたのはお互いの丁度真ん中の位置にある、駅前の和食店。
紗英子は先に席についていた。
「お誘いありがとう、嬉しくて早く来ちゃったの」
瑞々しい笑顔を浮かべてくれた紗英子を見ると、やはり悲痛な日々は想像出来ない。
それでも、淳から何か話しがある事はわかっていたのか。
紗英子は個室を取っていてくれた。
席について、松山とよく似た微笑に促されてメニューを開いた。
注文を済ませて改めて向かい合う。
「ここ、デザートも美味しいのよ。お腹に余裕があったら食べましょ」
「はい」
紗英子はクリーム色の柔らかなブラウスを着ていた。
艶やかな髪も、自分を嫌味なく引き立てるメイクも完璧だ。
もっと、満ち足りた時間を過ごせたはずの人。
「……柊司と、付き合ってるのね?」
「はい、まだ数ヶ月で...以前お会いした時には全然」
そうなのと頷いた紗英子が、うふ、と小首を傾げた。
「でも私は気付いてたのよ、柊司が淳さんを好きなんだろうなって」
松山の仕草は、紗英子によく似ている。
こんなふうに柔らかく、そして綺麗に松山も笑う。
彼女は昔から、こうして笑っていたのだろうか。
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