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ほんの数ヶ月、松山の人生に触れただけでは、到底触れられない。
触れてはいけない事を知ってしまった。
紗英子は淳の表情を見て、その話しを胸にしまえとは言わなかった。
話せないと思う反面。
松山に知って欲しいとも思った。
でも、それを知らせていいのは自分では無い。
それだけは、確かな答えだった。
紗英子との食事の為に、消していた音の代わりに手の中で携帯が震える。
『あまり遅くならないように。人の多い所を通ってね』
じんわりと、涙が滲む。
助けてあげたい。
でも、自分には出来ない。
その気持ちが溢れ出して。
知ってしまった真実の重さに押し潰されてしまいそうだった。
ベンチに座った女が声もなく泣く前を、興味深げに…または気まずい顔をして何人も通り過ぎていった。
淳はその日から、何度も松山の顔を見ては話そうかと迷った。
どうして首を突っ込んだと言われて嫌われてしまっても、それでも松山の気持ちが変わるならと、何度も口を開きかけた。
でもどうしても、あの紗英子の微笑みと彼の父親…和史の覚悟がそれを踏みとどまらせる。
松山の両親の選択が正解だと決して思わないけれど、でも、それしか無かったと言われれば否定もできなかった。
ただひとつ分かるのは、和史は紗英子を愛しているし…松山を愛していたという事で。
「淳…何かあったでしょう」
「……え?」
二人でのんびり過ごせる休日の前夜。
淳は松山の仕事終わりに合わせて部屋をおとずれていた。
遅い夕食を軽めに済ませて、二人で並んだソファー。
「……この頃、ずっと何か考えてる」
優しい微笑みと、どうしたのと頬を撫ぜる手に目を閉じた。
「何も、大丈夫です、よ?」
「……うーん、じゃあ俺のセンサーは、バカになってるのかな?」
無理に聞き出そうとしない柔らかな声が、耳たぶを掠めて。
ちゅ、と前髪にキスをくれる。
「……明日、どこ行こうか?」
甘やかす声に答えるように、淳は松山の腰に腕をまわして体重を預けた。
受け止めてもらって体温を分け合う。
「どこも行かずに…ずっとこうしてたい」
「ん?お出かけしなくていいの?」
「うん」
松山の香りを吸い込んで、また心は自分の力の及ばない問題に吸い寄せられていく。
「……眠くなった?ベッドいこうか」
二人の時はいつも何かしら話しをしている。
黙った淳を松山が抱き上げた。
……松山はこうして、父親に抱かれてベッドに運ばれた事はあるのだろうか。
「シャワー浴びてくる、寝てて」
小さなキスをひとつ落として、松山が階段をおりていく音を目を閉じて聞いていた。
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