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「あら、あらあら。うふふ」
目の前の水晶球に、実際に未来が映るというわけではないのですが、意識を集中させるためのアイテムとしてはとても役に立つのです。
何より占いという神秘的な雰囲気を醸し出すのに、この上なく有効であることは間違いないでしょう。
いつもイベント会場の端の端、一番目立たないブースを選ぶのも、非日常的空間を演出するためでした。
「そういうことぉ。ふーん」
彼女が占い師になろうと決めたのは三十年以上前のこと。本当に未来が見られるようになったのがきっかけでした。
未来というのは、彼女に言わせれば、結晶が成長している途中の状態に例えられるのだそうです。
何もしなければそのまま結晶は成長しつづけますし、刺激を与えれば結晶の形状は変えられるということ。
ようするに努力次第でいか様にも変えられるということを、何度も未来を見たことで、経験則として知っているのでした。
「あなたが知りたいと言った……告白についてですが」
「はい」
「上手くいくでしょう」
「本当ですか!?」
「ええ」
正面に座る中学生の少年は、寸前までのいぶかしげだった面持ちを、安堵へと変化させました。
その変わりようときたら、思わず笑ってしまいたくなるほどです。
でもそれが、彼女にとっては、占いをしている際の一番好きな瞬間だったのでした。
彼女自身は、当たる占い師と当たらない占い師との違いを、見えた未来をその通りに伝えるか、伝えないかにあると考えていました。
明るい未来であればその通りに告げればいいでしょう。その通りに伝えるだけで当たる占い師と認めてもらえます。
逆に、見えた未来に問題があったらどうでしょう。その場合は、相手が受け入れられる言葉に変換して伝えなければなりません。
悪い未来をそのまま伝えることも可能ですが、相手の機嫌を損ねれば、当たらない占い師と言われるのは間違いないのですから。
未来を、結晶が成長している途上と例えるなら、努力によって最終的な結晶の形状は変えられるのです。
相手に伝えるべきは、悪い未来そのものではなくて、悪い未来を良くするためのアドバイスなのでした。
では、この少年を前にしてどうだったかといいますと、見えたのはとても明るい未来でした。
けれども、そのことをそのまま伝えれば、若さゆえに増長し、相手に対する思いやりを見失ってしまうこともあるでしょう。そうならないように、注意を添えておくことも、占い師として必要なのです。
「ただし、それ以降の関係が上手くいくかどうかは、あなたたち二人の努力に掛かってきます」
「はい」
「あなたはそのお相手を、人生を懸けて、その命尽きるまで、愛する覚悟はありますか?」
中学生相手にどれほど重たい思いを突き付けるのかとも感じますが、少年の想いに迷いはありませんでした。
「はい」
「お相手がわがままを言うこともあるでしょう。あなたの希望する通りには行動してくれないことも多いでしょう。それらを受け入れるだけの器に、あなたはなれそうですか?」
「はい。なりたいです。僕は一生涯、その人と……その……。はい」
最後の方は恥ずかしくなってしまったようでしたが、想いに揺るぎがないことは表情から伝わってきました。
「もうじき転校するんでしたね」
「はい」
「離れていても、相手を想い続けられる自信はありますか?」
「はい」
「そう。では、その想いを確実なものとするために、私が少し力を貸してあげましょう」
「?」
占い師は、脇に置いていたケースから、小さなセロファンの袋をひとつ取り出しました。
透明な袋ですから、中に髪の毛よりも細い赤い糸が、小さな紙片に何重にも巻き付けられているのがしっかり見て取れます。
「使い方は、中に入っている解説を読んで下さい。その通りに儀式を行えば、あなたの願いは叶うはずです」
「はい」
「永遠に」
「永遠に?」
「あなたがその子を裏切るようなことをしなければ」
「そんなことはしません」
「わかりました。本来なら占いとは別に五百円頂くことになっていますが、今回だけは特別です。タダで差し上げましょう」
「いいんですか?」
「出世払いと考えて下さい。占いに間違いがなければ、あなたはもう一度、私と会うことになるはずです」
「え?」
「ただし、それがいつになるかはわかりませんが」
その翌日のこと。少年はなんと、告白しようと決めていたその当人に呼び出されたのでした。
同じクラスの女の子です。
スマホで伝えることもできたはずですが、やはり最後は実際に会って伝えるべきだと、少女は考えていたそうです。
しかし、その場で先に告白をしたのは少年の方でした。
昨日の占い師の言葉を思い出し、自分なりに解釈していたようです。
未来を創るには、まず自らが想いを伝えることが必要。そして、彼女の想いを受け止めることから始めなければいけない。そのように考えていました。
とはいえ、占いの裏付けを得ていた少年には、もとより告白は上手くいく自信しかなかったのですが。
いずれにせよ、少年の想いは、見事に相手へと伝わったのでした。
その後二人は、ファーストフード店へと向かい、最初であり最後でもある二人っきりの時間を過ごすことにしたのでした。
そこで少年は、昨日占い師からもらった赤い糸を取り出したのです。
「この赤い糸を使えば、一時は離れていて、いつか必ず結ばれるらしいんだ」
「それ、どうしたの?」
「実は、昨日……」
少年は昨日の出来事をつぶさに伝えたのでした。そして最後に、その占い師の女性が、おそらく信用に足る人だということも加えて。
少年は袋を開き、中から紙片に巻き付けられた状態の、二本の赤い糸を取り出しました。
五十センチほどの糸の端を、紙片からほどきながら、それぞれが自分の左の小指にぐるぐると巻き付けていきます。
そして赤い糸の、もう一方の端と端を固く結んでつなげると、お互いに糸を引っ張ってその感触を確かめ合ったのでした。
「つながってるね」
そう言いながら少年は笑顔で少女を見つめましたが、少女の笑顔には少々お愛想が混じっているように感じられなくもありません。
ただ、嬉しさのあまり上気していた少年が、そのことに気が付くことはなかったようでしたが。
最後に、袋に入っていた解説書に従い、少年はその糸の結び目をライターの炎であぶって切りました。
『糸は物理的には切れますが、儀式により精神的にはいつまでもつながり続けるでしょう』
解説にはそう書かれていました。
本当に簡単な儀式ではありましたが、二人の絆を強くするという意味においては、予想外に効果的だったようです。
しかし、時の流れの速さは、幸福感の強さに比例するもの。別れが訪れるまでは、本当にあっという間に感じられたのでした。
二人は互いの糸を小指から外すと、それを生徒手帳の中にしまい、店を出たのでした。
それから数か月後。
離れ離れになったとはいえ、今どきはスマホさえあればどこでもつながることのできる時代です。
スマホを通じての二人の会話は、毎日のように続いていました。
少年は『自分の心の一部が別の場所にあるようだ』とか、『君の声を聞くたびに運命を感じずにはいられないよ』とか、言われた当人でさえ恥ずかしくなるような事を、平気で言えるようになっていたのです。
そしてその想いが途絶えないのは、あの運命の赤い糸のおかげに違いないと、心の底から信じているようでした。
もちろん、その気持ちがうれしくないわけではないのですが、少女はあの赤い糸に果たしてそれほどの効果があるかと、実際のところ半分疑っているのでした。
というのも、少女はあの糸の由来や出所など、すべて知っていたからです。
あの糸を作って売っていた占い師というのは、何を隠そう少女の母親でした。
母親の能力については知っていますし、一応信じてはいます。
ただ、娘でありながら自身にはその力が受け継がれていないため、心の底からとまでは言えないようです。
しかし何よりも気になるのが、少年が占い師の正体を知ったらどう思うのかということの方でした。
そんなことになったら、娘のために占いにかこつけて運命をでっち上げたに違いない、などとと考えたりはしないかと、実のところ少女は気が気ではなかったのでした。
イベントがあるたび、母親が会場で一番人気のないブースを借り、そこで怪しげな雰囲気の店を演出しているのを、娘である以上もちろん知っています。
時々少年は、もう一度あの占い師に会ってみたいと言ったりもしていますが、とんでもありません。
母親の出店スケジュールを知っている少女は、絶対に少年を近づけないようにしているのでした。
おわり
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