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 兄が死んだのは、九年前の夏だ。僕の一人称が僕から俺に変わる前に、兄の呼び名が兄さんから兄貴に変わる前に、兄は家の庭先で死んだ。僕の一人称は一生、僕のままだ。  兄を最初に見つけたのは僕だった。よく、憶えている。思い出すという行為もいらないほど、兄の最期は日常の至るところに溶けている。夏の、特に暑い日だ。ジリジリと音がするような気がするほど熱い地面を蹴って、僕は帰った。学校の部活の帰りだ。兄はその日、休みで家にいるはずなのに、玄関を開けても兄の声が聞こえなかった。声だけじゃない、兄の部屋が二階だとは言え、その日の家は静かすぎた。僕は慌ててリビングまで走っていき、室内に兄がいないことを確認したはずだ。見渡して窓の外に、光に照らされた兄の背中を見る。窓を開ける。靴下のまま、僕は庭に出る。  庭に咲いた花の真ん中で兄が丸まっていた。母が植えた、兄と僕が育てた花だ。それは兄を送る献花のようでもあり、祝福するようでもある。その姿が太陽の光に照らされているのは必然なのだろうとも思った。  兄は、とても綺麗だった。もし庭でなくベッドで同じように死んでいたなら、僕は心臓が止まっていることにすら気付かなかっただろう。それくらい、最期までうつくしかった。  それから僕がそれをどうしたのか、あまり憶えていない。母と救急車を電話で呼んだことは確かだが、気付けば僕は泣きながら兄を揺さぶっていた。  兄さん。兄さん、起きて。  本当は、もう生き返らないと冷静な心で分かっていた。  焦って帰ってきた両親が、兄の姿を見て泣き出す。その瞬間に、僕は兄が死んだのだということを突然思い知った。兄はいなくなったのだと、そのことを、初めて知った。  兄は手紙を三通残していて、一つは家族へ、一つは友人や学校へ、そして一つは僕へ宛てられたものだった。その手紙を、僕はまだ一度も読んでいない。
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