01

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

01

 居酒屋の中はクーラーによって冷やされていた。それなりに混雑した店内は人口密度が高い上ほとんどが酔っぱらっているはずなのに全く暑さを感じさせない。今日の飲み相手は中学時代の同級生で長く会っていなかったが、明日は平日で互いに仕事がある。 「俺、生飲むけど」 「同じでいいよ。あと何か、適当に」  注文を彼に任せ、僕はトイレのために席を立つ。外の暑さと店内の涼しさのギャップで頭痛がする。これだから夏は、と悪態をつくが、もちろん誰も冷房の温度をあげてはくれない。  席に戻ると、彼は既に注文を終えていた。最近お前どうなの? ビールを片手にお互いの近況報告をする。この間、地元より少し都会のこの町で偶然会っただけだから、知らない話がたくさんあった。仕事の話をした。給料が安い、上司が嫌な奴だ、同僚が協力してくれない。お酒が入ってからどこにでもあるような愚痴が増える。だから、油断していた。彼の口からまさか兄の話が出るなんて、露ほども思っていなかったのだ。 「お前、最近お兄さんは元気か」  先程まで饒舌だったのに、口をつぐんでしまう。声が出ない。冷や汗が出る。ビールについた水滴が重力に従って下へ流れるように背中の嫌な汗がそろりと流れた気がした。これだから。これだから夏は。舌打ちをする代わりに唇を噛む。  双子の兄は、よくできたひとだった。一卵性のくせに、僕と同じ顔のくせに、兄はとてもうつくしかった。声も落ち着いて綺麗だったし、きめ細やかな肌は香水をつけていないはずなのに、常に甘い香りがして、そして、料理も上手かった。彼は五感すべてで人を惹きつける。しかも彼は性格においても欠点がなかった。だから僕は兄がとても自慢で、すごく誇らしくて、ひどく嫌いだった。  兄は、僕が兄を嫌いだと思っていることを知らなかったと思う。彼はいつでも優しかったし、どれだけ突き放しても笑って頭を撫でた。そうやって、どれだけ冷たくしても寄ってくるところも嫌いなのだ。自分が兄を疎ましく思う気持ちは至極真っ当なことなはずなのに、わがままを言っている気分になる。これだけ良いひとを嫌うだなんて、自分がわがままなのではないかと思ってしまう。 「兄さんとは、長いあいだ会ってないんだ」 「そうか」  うまく笑えていたかどうか、分からない。目の前の彼が、ひきつったかもしれない口元に気付いたかどうかも分からない。ただ、それから兄の話は出なかった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!