最後の一射

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 ポスっと間の抜けた音が私の耳に入ってくる。  矢は的野右斜め上の(あずち)と呼ばれる砂山に刺さっていた。  刹那、脳内が白色一色に染め上げられる。  あと三射、全てを的に当てなければ。  私にとって最後の大会を残念な結果で終わらせるものか。  二月のまだまだ冷たい風が吹き抜ける。  後ろで一つにくくった髪が煽られる。  矢を番い、引き、放つ。  矢は緩やかな弧を描き、的のすぐ下に刺さる。  下すぎたか。  一度焦り始めてしまったら、落ち着くのは容易ではない。  取り敢えず深呼吸を三度ほど繰り返し、再び矢を番う。  弓を引いたとき、左の方からカンという歯切れのいい音と、それに続く拍手が聞こえてくる。  意識がそちらに向いた途端、矢を持つ手の力が緩んでしまった。  気付いたときにはもう遅かった。  矢は見当違いな方向へ真っ直ぐに飛んで行った。  やばい、やばい、やばい、やばい。  もう次が最後の一射。  せめてこれだけでも当てなくては。  最後の大会で一射も当てられなくては私の沽券にかかわってくる。  少しでも焦り、緊張感を抑えるため、呼吸を整え、目を閉じ、手元に神経を集中させる。  目を開け、的を凝視する。  ふっと脳裏に付き合っている彼女の平松美優の顔が浮かんだ。  私が矢を的に当て、それをすごいと目を輝かせて褒める彼女の顔が。    私、新沢玲奈の高校生活で最後の大会の決勝戦という大切な場面で、周囲に意識を取られ、一射も的に当てられない私は、彼女の賞賛に値する人間なのだろうか。  ダメだ。今はこの一射に集中しなくては。  せめてこの一射だけでも当てなくては、勇気を出して同性で先輩の私に告白をしてくれた彼女に、私を尊敬し、追いかけてきてくれた彼女に見せる顔がない。  ゆっくりと息を吐きながら矢を番え、構える。  もう一度深呼吸をし、キッと的を凝視する。  頭の中から雑念が払われ、スッキリしてきた。  よし、これならいける。  そっと右手を離す。  矢は真っ直ぐに的を目指して飛び立った。  慣習にのっとり一例をしてから、射場から出る。  そしてそのまま外に出て、少し離れたところにある控室に向かう。  射場では表彰式が始まろうとしている。  木枯らしが熱くなった体を冷やす。 「あ、先輩」  落ちていた視線を上げると、袴の上からモコモコのジャンパーを羽織り、寒そうに手をこすり合わせている美優がいた。  私は何も言わず、彼女の元に近づき、強く抱きしめた。  彼女の優しく甘い匂いが私を包み込む。 「え、あ、ちょ、先輩!?」  彼女の慌てた声が耳元で聞こえる。 「悔しい」  美優の体温を感じ、安心したからか、ずっと心の中に留めていた本心が口から零れ落ちた。 「先輩?」 「悔しい悔しい悔しい悔しい!!」  再び体全体が熱を持ち始め、ずっと堪えていた涙が頬から伝う。  美優の手がそっと私の背に触れる。 「先輩はやっぱりかっこいいですね」  彼女の優しい声が耳を撫でる。    なぜだ、という思いから私は目を見開いて、どうしてかと聞いた。 「最初の方はなんかこう身が入ってない感じで私も不安だったけど、最後の一射はいつも以上にかっこよかったです」 「肝心な時に一射しか当てられなくて幻滅しない?」  恐る恐る私は嗚咽交じりに問う。 「そんなことで幻滅なんかしませんよ。そんな事で私たちの愛は揺らぐんですか?」  腫れているであろう泣き止んだ目を美優に向け、強がった口調で返す。 「そんな訳ないでしょ」  私の返答を聞いて、ふふっと微笑を浮かべる。  彼女が目を閉じたのを一瞥し、顔を近づける。  直に感じる彼女の体温はとても暖かく、心地よかった。  途端、私たちの周りを大きな拍手が囲んだ。
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