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「だって、ブレイラがいないときは、ちちうえもはいってこれないもん。だから……」
「だから隠れるのに丁度いいというんですね」
たしかに北離宮に入れるのは女性や子どもだけです。ゼロスの指導教官や講師はもちろん、上級士官や将軍だってここは立ち入り禁止でした。訓練場から抜け出したゼロスが北離宮に逃げ込んでしまったら誰も捕まえることはできません。
甘えん坊なゼロスに頭が痛いです。
まったく……とため息をついてしまいましたが。
「…………お兄様が北離宮に入れないって、どういうことですの?」
「あっ、しまった……」
私は慌てて口を手で塞ぎました。
そう、私はハウストと約束しているのです。私の不在時にハウストが一人で北離宮に入らないようにと。彼は約束を交わした時から今もずっと守ってくれている。
それは私にとって嬉しいことですが第三者からすれば前代未聞。そもそも北離宮は魔王が世継ぎを作る為の離宮で、そこに魔王の立ち入りが制限されているなど有り得ないことなのです。
メルディナが信じ難いものでも見るような目で私を見ていました。
いえ、メルディナだけではありません。四大公爵夫人も、側に控える高位の女官たちもぎょっとしたような顔で私を見ている。
「……王妃様がいらっしゃらない時は、魔王様は北離宮に入れないんですか……? 御自分の城なのに……」
フェリシアまで驚きを隠し切れない口調です。
………………。
「……あのですね、その、これには深いわけというか、約束というか」
ゼロスを叱るどころではなくなりました。
魔王と王妃の前代未聞の約束に、皆が唖然としてしまっている。
「し、信じられませんわ。お兄様にそんな約束をさせるなんて……」
「あの魔王様がっ……」
「魔王様が北離宮に渡るのを制限されているなんて……」
こそこそ囁かれています。ちらちら見られています。
しかもどこからか「まさか恐妻なのかしら」「まあ、王妃様が」なんて声まで聞こえてきました。
このままではいけませんっ。なんとかしなければ!
「い、いいんですっ。これはハウストと私の個人的な約束事です。掟まで変えたりしていません! 私とハウストは愛しあっているのですっ、それだけの話しです!」
慌てて反論しました。
そう、これは個人的な約束なのです。すなわちハウストと私が愛しあっているからこそなのですよ。
「ただの嫉妬ではなくて?」
「……う、うるさいですね。いいんですよ」
メルディナを睨みましたが、じーっと見つめてくる彼女の目が平たいです。
普段は人形のように愛くるしい瞳をしているのに今はちっとも可愛くありませんよ。
こうして私たちが賑やかに過ごしていると、「王妃様、よろしいでしょうか」と女官が話しかけてきました。
「何かありましたか?」
「御歓談のところ失礼します。イスラ様が人間界よりお戻りになりました。本殿の広間でお待ちですが、いかがいたしますか?」
「イスラが帰って来たんですか?!」
「あにうえ?!」
側でお菓子を食べていたゼロスも嬉しそうに反応する。
私もゼロスもイスラが帰ってくるのを心待ちにしていたのです。
今すぐイスラに会いたい。でもイスラは十五歳で、もう北離宮に入ることはできません。しかも私は会議後のお茶会中で、主催の私がここを抜けるのは気が引けます。
でもそんな私の気持ちなど皆はお見通しのようでした。
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