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「ハウスト……」
立ち上がって迎えようとして、「そのままでいい」とハウストが側まで来てくれました。
見るとハウストも疲労を残しています。
イスラの治療でハウストもたくさんの集中力と魔力を要しました。彼も酷く疲弊して、イスラが一命を取りとめたのを確認してから今まで休んでいたのです。
「体調はいかがですか? もう少し休んだ方がいいのではないですか?」
「問題ない。それよりイスラの容態はどうなっている」
「まだ目覚めませんが落ち着いています。……イスラの腕のことで何か分かりましたか?」
「イスラの左腕の切断部には人間界の古い禁術の力が宿っていた。禁術については調査させている」
ハウストは私の隣に立つと、そっと肩に手を置いてくれます。
私を慰める優しい重みと温もり。イスラを見つめたままその手に手を重ねてぎゅっと握りしめました。
「ハウスト、イスラはどうなってしまうんでしょうか。どうして、どうしてイスラがっ……」
唇を強く噛みしめる。言葉が続けられません。
頭がぐちゃぐちゃで何も考えられないのです。どうしてイスラがこんな目に遭わなければならないのですか? どうしてイスラがっ……。
イスラの体には上掛けの布団が被せられています。それは体の厚みに膨らみますが、左腕の場所がぺたりと下がっている。何もないのです。左腕を失ったのです。
痛かったですよね。苦しかったですよね。悲しかったですよね。
「っ……、イスラっ」
「…………勇者とは難儀なものだな」
ハウストがぽつりと漏らしました。
彼を見上げると、ハウストはイスラを見つめたまま言葉を続けます。
「勇者は俺や精霊王や冥王と同格の王だが、その存在は特殊だ。統治する国は無く、玉座も無い、だが人間の王でなければならない。勇者は存在だけで絶対的な王となり、すべての人間の上に君臨することを求められる。それが勇者だ。だが」
ハウストはそこで言葉を切り、厳しい面差しになりました。
魔王と勇者は同格の王、ですがその存在の在り方は違います。
「それは簡単なことじゃない。歴代の勇者の中には、戦場に身を置いて人知れず死んだ者もいれば、強国の傀儡として利用された勇者もいる。人間界には幾多の国があるゆえに、謀略と策略に翻弄されて非業の最期を迎えた勇者も少なくない。だからこそ勇者が勇者である為に、絶対的な王であることを求められるんだ」
「……それが、勇者っ……」
胸に鉛のような感情が競り上がりました。胸が締め付けられるように苦しくなって、呼吸が詰まりそう。
……分かっていたつもりでした。
以前モルカナ国の騒動に巻き込まれた時に怪物クラーケンの体内で千年前の勇者に会ったことがあります。勇者の名はジレス。冥界の怪物クラーケンとの戦闘中にクラーケンの体内に取り込まれて死んでしまった勇者です。
他にも、長い歴史のなかで過去の魔王や精霊王と戦って敗れた勇者もいたでしょう。いにしえの時代には、神になろうとした冥王と戦った勇者もいました。何万年という長い年月に渡って勇者は各界の王と一人で渡り合い、一人で戦ってきたのです。現在のように四界の王が親交を結んでいる時代の方が稀なのです。
「勇者とは、なんて……哀れな存在なのでしょうか」
途方もない孤独と、人間からの身勝手な期待と希望。それらを一身に受け止めて一人で戦っているのです。
この勇者の宿命を生きるイスラに私は何をしてあげられるでしょうか。
沈黙が落ちる中、ふと部屋の扉が少しだけ開きました。
扉の隙間に見える小さな人影がおどおどした瞳で部屋を覗いています。ゼロスでした。
目が合うとゼロスはパッと嬉しそうな顔になりましたが、ハウストを見ると次には焦りだしてしまう。叱られると思ったのかもしれません。
「部屋にいろと言ったんだがな」
「不安にさせてしまったようですね。ゼロスに可哀想なことをしました」
私は目元の涙を拭いました。まだ幼いゼロスに泣き顔は見せられません。
少しでも笑みを作ってゼロスを手招きします。
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