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七度目の引っ越し
七度目の引っ越しはそんな朦朧とした中で新築のマンションを購入した。今度は私の家で負担をすることになったが、実家は店だったので抵当に入れるような危険なことはできず、母がへそくりの500万円を頭金にするようにとして支払ってくれた。
そのマンションでの生活はすぐに崩壊した。夫は深夜2時まで帰宅せず、ミチルはうつ病が一番ひどい状態でリスカを繰り返し、息子たちは親が何も言わないことを良いことに、ゲームやプラモデル、漫画に溺れ勉強など全くしていなかった。ただ、前の夫は公立以外の高校には行かせないとずっと言っていたので、息子たちもそれなりには勉強をしていたようだった。
そして、ミチルと前の夫との生活はこのマンションで終わった。
『一度引っ越したら二度と敷居を跨がないでほしい。』と前の夫に言われたので、引っ越し後に残ったものは息子たちがミチルが引っ越したワンルームに持ってきた。
そう。八度目の引っ越しは息子たちとも離れ、独り暮らしに戻る為の引っ越しだった。この時、またすべての家電や台所用品を買いそろえなければいけなかった。そのワンルームの近くで離婚前から勤めていた会社を首になり、次の仕事先のコールセンターをみつけた。そのワンルームマンションから歩いて行かれる場所にコールセンターがあったのでとても助かった。
しかし、ミチルも忙しいながらも寂しかったのと、思考力もまだぼんやりしていたのだろう。ついついペット可でもないのに猫を買ってきてしまったのだ。
慌ててペット可のマンションをコールセンターから遠くない所で探していたところ、運よくその後長く済むことになる料理屋さんの上のワンルームを見つけた。
築年数が大分立ったが、リフォームをするのも大変だからと大家さんがちょうどペット可のマンションに切り替えたときだった。
そうして、ペット可のマンションへ九度目の引っ越しをした。そのマンションには10年ほど住んでいた。
でも、途中、少し広い部屋が空き、そのマンション内で十度目の引っ越しをした。この引っ越しは自分と今の夫だけでできた。
その後、最初の飼い猫が病気になり、その頃コールセンターも会社の業績不振で派遣切りにあった。その間に猫は3匹に増えていた。保護猫を引き取ったり次の猫を買ってしまったり。
最初の猫の病気でお金がかかるのと、ミチルのうつ病も落ち着かず、福祉の力を借りて自立支援を申し込んだりしながら、次のコールセンターに何とか勤めが決まった。しかし東日本大震災の忙しさで病気がひどくなり傷病手当を貰って休んでいたが、そこでいただくお金だけでは生活が成り立たなかった。猫の病気にお金がかかりすぎたのだ。
そこで、就労支援を受け、障害者年金を貰えるよう手続きをした。その後障害者枠での就職をしたが、傷病手当の時よりも手取りが少ない位でいよいよ生活が成り立たなくなった。
今の夫ともまだ、お付き合いの域を出ていなかったし、一旦実家に戻ることになった。
十一度目の引っ越しは実家への引っ越し。荷物も全部持って猫3匹も連れての引っ越しで一番大変だった。引っ越して半年後に病気だった猫は亡くなってしまった。その後3年半ほど実家の手伝いをしながら全く無くなっていた自分の貯金を実家から月々貰う給料を少しずつ貯めて増やしていった。
実家の母は猫が嫌いだったので田舎とはいえ賃貸住宅を借りた。寒い土地なのに断熱材一つ入っていない建物で、毎年冬になると私は扁桃腺を腫らして40度を超える熱を出した。
今の夫はミチルが実家に引っ越してから毎週実家にきてくれた。東京から長野。決して近くはない。毎週来るのは大変だったと思う。
しかし、その姿に母の心も溶け、夫も自分の奥様と別れたり、夫が息子さんと住んでいた家が取り壊すことになったりという事情も重なって、私と夫はお互い二度目の結婚をした。
そして、一緒に住むことになったので今度は東京へ戻ることになった。
十二回目の引っ越しは長野から多摩市の賃貸マンションへ。
とりあえずミチルが使っていた家具や家電で過ごした。そこで2年ほど住んだ後、よくポスティングされていた団地の間取りが気になって、見に行ってみることにした。
その間、ミチルの母は突然死をして、ミチルは結構なお金を母から受け取っていた。
ミチルがちょっとドン引きするくらいのカビ、虫、ホコリ。でも、夫は
「こんなのリフォームしちゃえば綺麗になるよ。」
「間取りは気に行ったし、部屋数も多いし、これでその値段なんだったら買ってもいいね。」
と、乗り気だった。
だったら、もともと賃貸派だった夫が買う気になってくれたのだからリフォーム料金は自分が出すことにして、購入が本格的に決まった。
リフォームも終わり、いよいよ十三回目の引っ越しをすることとなった。
この十三回目の引っ越しが私の人生最後の引っ越しになるはずだ。
今回は二人とももう年を取ってきているし、引っ越しばかりして年賀状をいちいち書き換えてくれていた同級生にも『終の棲家に引っ越しました。』と新しい住所での年賀状を送る頃には最後の引っ越しから2か月が経っていた。
新居での生活はとても快適だ。中古のマンションとはいえ、入居した翌年に大規模修繕が始まり、外断熱をして、床下断熱もした。我が家は一階なので床下断熱はとても嬉しかった。
夫は初めて家を購入したので、自分の家。という意識がとても強く、家をとても大切に綺麗に保とうと毎日掃除機をかけて、風呂場も吹き上げてから出てくる。
土日になると台所をコンロから流しまで綺麗に洗い上げる。
週によって、換気扇を分解掃除する。床にワックスをかける。など決めて掃除をしているので、年末の大掃除の必要はない。
ミチルはなるべく汚さないように、散らかさないようにそれなりに気を付けて暮らしている。
最後の引っ越しの後は毎日が穏やかに過ぎていて、これまでの色々な引っ越しを考えると、なんて無駄な時間を使ってしまったのだろうと思うが、ここまでの人生あっての自分なのだと今年60歳になるミチルは
「ほうっ」
と幸せなため息をつくのだった。
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