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最初の引っ越し
ミチルが5年生の時、それまで借りていた家の大家さんが亡くなり、離れて暮らしていた大家さんの息子さんから家を取り壊すので引っ越してほしいと言われた。
ミチルはもちろんその頃そんな事情は知らなかったが、引っ越す予定の家は借家ではなく父が買って建てた家だ。ミチルは嬉しかった。
引っ越しはもちろん大人がすべてやってくれて、ミチルがやったことと言えば自分の洋服を箪笥に詰めなおしたくらいだった。
その家には高校を卒業するまで住んでいた。
二度目の引っ越しは世田谷の大学の合宿所への引っ越しだった。
基本的な家電は勿論そろっていたし、一年生は5畳の部屋に3人で生活するよう言われたので、押し入れを3人で分けて使った。
学年が上がるにつれ部屋は自由に使えるようになっていった。
その後もずっと使う事になるクローゼットの下に引き出しがついた自分用の洋服ダンスを仕送りをやりくりして買った。
そして、大学4年になり、前期の授業が終わったころ、合宿所を出ることになった。
三度目の引っ越しは大学の合宿所のあった駅から少し離れた溝の口に引っ越した。今回は初めての一人暮らしになる為、家電や家具、台所用品もすべて揃えなくてはならなかった。引っ越し代も買い物代もばかにならなかったので、母が東京に出てきてくれて、必要最低限の家電や箪笥、台所用品、洗濯用品等を買いそろえてくれた。
四度目の引っ越しは前回引っ越したところがあまりにも山に近くヤモリがでたり、アパートの人が酒乱で頻繁に警察が来たりと少し怖い場所で、そこまで調べずに引っ越してしまったので、1回目の更新が一年更新だったので、それと同時に駒沢公園駅近くに引っ越した。勤め先が新宿だったので駒沢まで戻った方が近かったし、学生の多い場所だったので比較的安全な場所だった。
五度目の引っ越しは前の夫と生活を始めた場所。その時にはそれまで使っていた一人用の家電は、東京で一人暮らしをしていた父に譲り渡し、ミチルは新婚生活に向けて希望のある引っ越しをした。その時に初めて多摩市に引っ越した。
家電などは二人以上で使えるものに買い替え、キッチンのテーブルも大きなものに買い替えた。そこには3年ほど住んでいただろうか。
六度目の引っ越しは長男がもうじき一歳になる頃に、賃貸に住んでいるのがもったいなくなって、子育てのしやすい日野の分譲団地に引っ越した。
バブルがはじけた後だったが、まだ不動産は高く、45㎡のいえで3700万円ほどした。前の夫の実家を担保にしてローンを組んだ。
そこには長男が小学校6年生になるまで住んだ。ミチルは39歳だった。
そのころミチルはうつ病になり団地のママ友達との付き合いが大変になり夫の帰宅もずっと遅く、浮気も疑われることから引っ越しを決めた。今考えると私にはその時には思考力などなかったという事。息子たちは転校を余儀なくされ、大層迷惑だった事だろう。それに引っ越しをしたからと言って、夫の浮気が治るわけはないという事に気づきはしなかった。
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