虫籠5

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 柘は、闇に落ちたホールから滝のような雨の中へと走り出た。雨幕にかすむ外灯の光が、前をゆく小柄な後ろ姿をおぼろに浮かび上がらせる。 ((リュイ)……)  声を聞いたわけでも、顔を見たわけでもない。だが、組みつく機関員たちを鮮やかに打ち倒し、玄関扉を開けたのは緑だ。柘は万感のまま、そのずぶ濡れの背に飛びついて抱きしめたい熱い衝動に耐えた。  芝庭を走り抜けて通りに出ると、(ほろ)の掛かったトラックがエンジンを掛けたまま煉瓦塀に横づけされている。小柄な背が荷台に滑り込むや、振り向いて手を差しだす。 「旦那……」 「ああ……」  柘はうなずき、ずぶ濡れの白い手を取った。  瓦斯(ガス)灯に照らされた緑の顔は、雨に濡れてぐちゃぐちゃで、そのうえ造作を崩す勢いで笑ったので唖然とするくらい洟垂(はなた)れ小僧のようで、それでいて、はっとするほど可憐だった。柘が荷台に飛び乗ると、トラックが凄まじいスピードで走りだす。二人は反動に押され、抱き合ったまま荷台に倒れ込んだ。 「逢いたかった……」  緑が、柘にしがみついて声を詰まらせる。緑の躯は震えていたが、その震えは柘のものでもあった。 「……おれも」  柘は声を絞り、後は言えないまま唇を引き結んだ。暗い予感を打ち砕いた緑の生命力に、どうしようもなく涙が零れるのだ。  揺れる荷台で抱き合いながら、二人はじっとして幌を叩く雨音を聞いた。つい数分前までの身を灼くような苛立ちや苦しさが消え、柘の心は安らいでいた。離れていたのは四日のはずなのに、気が遠くなるくらい長い長い日々であったように感じられた。 「あれからどうしていた? 酷い目に遭わされなかったか?」  濡れたシャツごしに伝わる緑の温もりを抱きながら、洟をすすって訊く。緑がごそっと動き、彼の首許から数珠玉が擦れ合うような硬質な音がした。 「何を付けている?」  さっきから聞こえるこの音が、にわかに気になりだす。手指をずらして襟足をさぐるや、緑がびくっと身を震わせる。 「何をされたッ!」  指先に(ぎょく)の首輪を感じた転瞬、柘は緑の腕を鷲掴んでいた。  緑は黙っていた。表情もわからぬ闇の中で、柘は沈黙の意味と、流れた時間を想った。同時に状況の不自然さに気づく。 「(リュイ)。どうしておれの居場所がわかった? トラックを運転しているのは……誰だ?」 「(ジェン)が運転している。特務のアジトを捜し出すのと引き換えに協力してくれたんだ」  緑の明るい声とは裏腹に、柘は己の迂闊さに茫然とした。 「どうやって捜し当てた? まさか……」  水海月に潜入している中村欣吾の顔が脳裏に映る。  ——と、凄まじい爆裂音に地が揺れる。  はっとして背を上げ、幌の隙間に目をやる。徐家淮教会の裏手の空が赤く染まっている。河東機関のガーデンハウスがある辺りだ。 「おっと。大人しくしてもらおうか」  乗りだした柘の背に、どすの利いた太い声が掛かる。  直後、雨水が吹き込む幌の左右の隙間から、ずぶ濡れの男が二人するりと入ってきて、柘と緑に銃口を向ける。 「……騙したのか?」  緑が声を上げる。荷台の奥でぼうっと洋燈が灯り、黒獅子の蒋の不敵な面構えが浮かび上がる。 「悪く思うな。雇い主に、(にい)さん攫って来いって言われりゃ、やるしかねえだろう」  蒋が底冷えのする眼を細めてにやっと笑う。黒く光る銃口を緑へと据えた。
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