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院長は私のことは覚えていないようでほっとしました。医者であることは知っていましたがまさかこんな大きな病院の院長にまで出世しているとは想像も及びませんでした。成功者は過去の恥部など忘れているでしょう。そうだ、想い出させてはいけない。屈辱を与えた相手だと知れば確かな執刀は出来ないでしょう。私は院長の顔を見ずに壁を見ていました。
「その絵、気に入りましたか?」
私が絵を見ていると勘違いしたようです。
「いい絵ですね、タッチがいい」
低い声で答えました。
「そうですか、分かっていただけけると嬉しいです。絵心のある方はきっと優しい、神様も見守ってくれますよ。それじゃ午後」
院長はまた回転椅子に座り反転して海を見つめています。
「あの院長先生は長いの?」
廊下を押されながら看護師に訊きました。
「生え抜きじゃないです。でも外科としてのキャリアは相当らしいですよ。そんなこと訊いて手術が恐いんですか?」
「誰でも手術は恐いものさ。女の医者だと尚更だ」
「それセクハラですよ。ところでご家族は本当にいないんですか?一報入れておいた方がいいんじゃありませんか?」
「天涯孤独です」
親戚はいますが連絡はとっていません。煩わしい付き合いは嫌いでした。
「そんな、親戚ぐらいいるでしょ」
「いない、私の命だ、私自身が同意すればいいだろう」
若い看護師は納得しないようでした。それでも院長の許可が出て私は手術室に運ばれました。麻酔を打たれ朦朧としています。
『院長先生、あの絵いい絵ですね』
『どうしてもあの絵にしたかったのよ』
何を話しているのでしょうか。
『機械出しが遅れていますがどうしますか?』
『いなくてもいいわよ、さあ始めましょう、何年振りかしら、手が震えて止まらない』
私は抵抗しましたが動けません。もしかしたらこの女は初めから私であることを知っていたのでしょうか。まさかあの復讐をこの手術で晴らそうとしているのでしょうか。
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