序章

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 エリスレーデに連れられた先は、丸まった猫の看板が目を引く建物だった。こうして歩いている間誰とも会うことがなく、街全体に人の気配は全く無い。 「……回転する猫(スピニングキャット)? 酒場ですか? というかどういう意味の店名なんですか、これ」 「店長曰く深い意味は無いらしいよ。……あ、申し訳ないんだけど、これつけてくれる? 目隠し。今から地下を通って拠点に行くんだけど、この街はよそ者に厳しくて……付けないと君も私も怒られちゃうから」 「……詳細な拠点の位置が割れないように、という感じですか?」 「そう。話が早くて助かるよ」  さすが、しっかりしてるな。そう感じながら自分と、ついでに父親の分の目隠しも付けてやってから、視界が消える中エリスレーデの背に触れながら階段を下り、歩いていく。それが5分ほど続いた。いくらなんでも長すぎやしないだろうか、と思わず目隠しを取りたくなるが、それは信頼を損なう行為だと自分を律し、黙ってエリスレーデに着いていく。 「君達はどうしてこの街に来たの?」 「……尋問ですか? それ」 「まあ、それもあるかな。尋問半分、興味半分」 「……父さんは商人なんですけど、この街……ディアスクラードは危険な場所だから競合相手が少なくて稼げる! って意気込んでこの街に来たんです。ただ初っ端からこの調子じゃ先が思いやられるっていうか……僕は別にいいんですけどね、危険なのは獣がうじゃうじゃいる故郷も同じですし」 「……君って結構肝が据わってるんだね。殺されかけて、敵とはいえ目の前で人が殺されて、その返り血まで浴びたら普通はそのお父さんみたいになっちゃうよ。なのにこうして普通に話せるなんて」 「ははは、虚勢も入ってますよ……それにしても、さすがにさっきはどうなることかと思いました。……天使の襲撃は結構日常茶飯事なんですか?」 「そうだね。天使狩りの本拠地がある分他と比べて頻度は多いと思う。一週間に一、二回あるかないかくらい、かな。……はい、着いた。もう取っていいよ」  待ち望んでいた言葉を受け、目隠しを取る。暗い地下、木の扉の前に自分達は立っていた。隙間から向こう側からの灯りが漏れており、何人かの話し声も聞こえる。エリスレーデはコンコン、と扉をノックする。 「合言葉は」 「聖女の愉悦」  入るための合言葉なのだろう謎の単語をエリスレーデが口にすると、扉が開いた。久々の光に一瞬目が眩む。部屋に入ると、何人かの男女がいた。永遠の深淵の構成員だろうか。 「エリス、そいつらは?」  最初に、紫がかった黒髪を無造作に下ろした十六、七ほどの少女がエリスレーデに声をかけつつティシルと父親を訝しげに見やる。 「天使に襲われてた人達。今日この街に来たばかりなんだって」 「よそモン? 信用できんのかよ。……おいテメエら、まさか天使じゃねえだろうな?」 「落ち着いて、シェリー。よその人全部疑ってたらキリがないよ。それに私もあなたも最初はみんなよそ者だったじゃない」 「それは……そうだけど」  シェリーと呼ばれた少女に睨まれると、ティシルは気まずそうに目を逸らす。血塗れであることを指摘しない辺り、只者ではないと感じた。エリスレーデは四十代ほどの茶髪の男性に天使の亡骸を渡す。 「バルトさん。これ、天使。お願い」 「はいよ。……いい顔してるねえ、困惑に歪んだ顔。死んだ瞬間を見てみたかったぜ」  なんか物騒なこと言ってる、とティシルが緊張感を覚える。バルトと呼ばれた男性が別室へ去っていくのを見届けてから、エリスレーデはティシルの方へ向き直り、えっと、と口を開く。 「君の名前は……」 「あ、名乗り遅れてしまいすみません。ティシル・オリバートです」 「ティシルくん。念の為お父さんを寝かせてあげて。あと君は身体を拭く! 案内するから」  血で服が引っ付いて気持ち悪い状況下ではありがたい言葉だった。まず放心状態の父を寝室のベッドに寝かせてから、荷物から着替えを取り出し、水で身体を洗う。冷たさが身体を襲うが、一人で静かになってようやく命の危機は去ったのだと安堵した。
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