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身体を洗い流してからティシルが部屋に戻ると、先程までいなかった人物がいた。濡羽色の髪に青い瞳――ティシル達を命の危機から救ってくれた少女だった。今来たばかりなのだろう、顔や服には返り血がついていた。
「貴方はさっきの……あの、貴方のおかげでおれも父さんも無事です。貴方は命の恩人です! 本当にありがとうございます!」
「……お前達を助けたわけじゃない。天使がいたから殺しただけだ」
「リル。あなたがいないと死んでた命なんだよ? もっと感慨とか湧かないの?」
「ああ、何も。生き死には天使のものしか興味がない」
感謝の言葉は彼女の瞳と同じく冷たい言葉で返された。それに萎縮していると、エリスレーデの諭すような言葉が助け舟として放たれる。しかしそれも少女に軽く突き放された。先程自分達を放置して天使の残党を狩りに行ったのといい、本当に天使を狩ることだけが自分の存在意義なのだと、そう言外に主張しているようだとティシルは感じる。
「相変わらず、アンチェスタの跡取り様は意識が違うな」
「シェリー」
シェリーと呼ばれた少女はただの賞賛ではない、皮肉を込められた言葉を放ち、それを先程バルトと呼ばれた男性が彼女の名を呼んで諌める。
「……着替えてくる」
「うん」
その場にいた全員が少女が部屋から去るのを見届ける。少女は皮肉の言葉にも眉ひとつ動かさなかったため、気まずい空気に耐えられず逃げた、というわけでもなさそうだった。
「彼女は……?」
「あの子はリーダルシア・アンチェスタ。天使狩りの名門と呼ばれるアンチェスタ家の跡取り。私の相方でもあるんだ。といっても、まだ正式に結成してから二週間なんだけどね」
「リーダルシアさん……」
ティシルの疑問にエリスレーデが答える。リルというのは愛称だったらしい。淡々とした立ち振る舞いの裏に、どこか危うさを感じる少女だと、ティシルは内心感じた。
「ティシルくん。天使に襲われてまだ落ち着かないだろうし、地上もまだ混乱してると思うから、今日は泊まっていくといいよ。バルトさん、空いてる部屋ってあるよね?」
「ああ。着いてこい」
「え、いいんですか? ……何から何まで、ありがとうございます」
ご厚意は素直に嬉しいものだった。よそ者に厳しい街と言った張本人がよそ者に甘いと感じつつも、エリスレーデに一礼をしてから男性を追ってティシルは部屋を後にした。
♢
「リル」
「……なんだ、エリス」
リーダルシアが身体の汚れを落としてから着替えていると、エリスレーデが部屋に入ってくる。着替えの途中、曝け出された身体の傷を見て、エリスレーデは顔を顰める。
「怪我をしたなら先に言って。隠さないで」
「この程度の傷、放っておけばすぐ治る」
「全然この程度じゃないわ。ほら、ここ……かなり深いじゃない。痛いでしょ? 待ってて、今包帯を……」
「痛くないし必要ない。無駄な消費だ」
「もう……!」
あくまで大したことのない怪我だと強情な態度を取り続けるリーダルシアに痺れを切らしたエリスレーデは、リーダルシアの傷口に手を伸ばす。が、リーダルシアは反射的に自らの手で傷口を守る。
「何を……」
「ほら、触れられたくないってことは痛いんでしょ! 私は放っておけません! 包帯取ってくる!」
事実、リーダルシアが咄嗟に傷口を守ったのはただでさえ傷の痛みが響いているところを、更に触れられたら痛みが増加するからという理由からだった。有無を言わせずエリスレーデは救護室から包帯を取ってきて、無理やりリーダルシアを椅子に座らせ処置をする。
「……痛いのは認める。だが私は本当に平気だ。痛みには慣れている」
「そんなものに慣れちゃダメだよ。本当の命の危機も分からなくなっちゃう」
「痛みを恐れていては戦えない」
「それも……一理あるけど。……とにかく、私達はバディなんだから困った時は助け合いたいの。辛い時は辛いって言って欲しい。……死んじゃったら、お母さんの仇を取れないでしょ?」
「……」
死んだら、母の仇を取れない。その言葉に返答することはなく、リーダルシアは顔を逸らす。ただ、エリスレーデの応急処置を止めることはしなかった。
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