序章

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 そうして、三週間程前。リーダルシアが永遠の深淵首領に呼び出されて彼の部屋に向かえば、首領――エイヴェル・カーテナがそこにいた。色素の薄い青の長髪に、こちらを見つめる海色の瞳。青で統一された色と、柔らかな表情。線の細い身体は女性と偽ってもある程度は誤魔化せそうであった。 「よく来てくれたね、リーダルシア」 その膝の上には彼と同じ髪と目の色をした、一目で彼の娘だと分かるような色を宿す幼い少女がいた。今年で八歳だと聞いたことがある。名はレイリー・カーテナ。彼女は入室したリーダルシアに視線を寄越すことなく、手に持った本を黙々と読み進めていた。その本は絵本のような可愛らしいものではなく、内容は伺えないが字の大きさを見るに到底子供には無縁であろう難しそうな本であった。 「久しぶりですね、リーダルシアさん」 「お前は……あの時の」  彼らの前に立っていたのは、一年半前に出会った少女――エリスレーデだった。怪我が完治したのだろう、その身体に纏わりついていた包帯は消え、自らの足でしっかりとそこに立っていた。エリスレーデはリーダルシアに微笑みかけ、手を振りおいで、と促す。 「今日は君に提案があってね」 「提案……?」 「ああ。単刀直入に言うと、君達がバディになるのはどうかな……って提案。……というより、これはエリスレーデからの頼みなんだけどね」 「バディ……? 一緒に戦うという意味ですか? ……戦えるのですか、エリスレーデは」 「戦闘能力という意味では問題ないと思うよ。三日前の天使襲撃の際彼女に後方を頼んだんだけど、二人殺したから。それ以前から訓練はかなり積んでいたとはいえ、怪我明けの初陣でこれなら申し分ないんじゃないかな」 「初陣で二人……」  リーダルシアは俄かに目を丸めてエリスレーデを見る。エリスレーデは気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。軍人でもないただの村娘が、怪我明けで二人殺したというのはリーダルシアにとっても驚くべきことであった。 「天使を殺して……お前は平気だったのか」 「……うん。自分でも不思議なくらい。もちろん思うところはあるけど、それ以上にみんなを傷つける天使が許せなくて……罪悪感よりも、みんなを守れるなら、って気持ちの方が大きかった……かな」 「……どうだい、リーダルシア。天使を狩るには心強い相手だと思うよ。それに今すぐ決めろとは言わない。しばらくエリスレーデと行動を共にして決める……でも構わないし」 「……なら、仮としてしばらくエリスレーデと共に戦います。組むに値すると判断した場合は組み、そうでない場合は今まで通り一人で戦う……それでいいな」 「はい……! ありがとうございます!」 ♢ 「リーダルシアさん」 「……エリスレーデ」  それから三日経ち、五人の天使に紅い化粧を施されたエリスレーデはリーダルシアに笑いかける。――エリスレーデの戦闘技術はリーダルシアも認めざるを得ないものであった。新人にありがちな臆病もその逆の過信もなく、常に冷静、的確な判断で天使を狩る。それでいて必要以上に痛めつけない。永遠の深淵にとっては重要な技能だった。憎悪から、あるいは加減が分からず天使を必要以上に傷つけてしまう者も少なくないが、まるでこれだけ攻撃すれば死ぬというラインを熟知しているかのようだった。 「ごめんなさい、どうしても心臓を傷つけてしまって……急所を傷つけず殺すのは難しいですね」 「……いや、殺せないよりはマシだ。少しずつ慣れていけばいい」  エリスレーデはまるで日常の会話のようにそれを話す。表情や仕草からも心の乱れは感じられない。 「……本当に驚かされる」 「……?」 「私は十歳で初めて天使を殺した時三日三晩嘔吐し、悪夢にうなされた。二十人程殺した辺りでそれは無くなったが……更に経験を積めば、お前はきっと私以上の戦力になる」 「……そう、でしょうか。みんなを守れるという意味では喜ぶべきなんでしょうけど、人殺しの力が優れていると言われるとちょっと複雑で……でも、私自身が一番驚いてます。……なんで、私はこんなに戦えるんでしょうか」 「……さあな。天使を殺せればなんでもいい。……お前の戦闘力は目を見張るものがあるが、まだまだ課題はある。……私でよければ、教えるが」 「え……それって」 「……お前と、組んでやってもいい」 「……! 本当ですか!」  やった、と子供のように笑いはしゃぐエリスレーデを見て、リーダルシアは目を細める。彼女の笑顔を見るのは悪い気分ではなかった。むしろ、心地よく感じる。救った子供達の感謝や安堵の笑顔を見ても心が揺り動くことは無かったというのに、エリスレーデの笑顔は特別に感じた。 「……あの! バディになった記念に、お互い愛称で呼び合いたいんです!」 「……構わんが」 「じゃあ、私のことはエリスって呼んでください! リーダルシアさんは……リーダ……ルシア……うーん、リーダとルシアどちらかを捨てるのもなあ……あっ、リルはどうですか?」 「リル……懐かしい響きだ。両親からは昔そう呼ばれていた?」 「昔?」 「……母は私が八歳の時に天使に殺された。父も今はリーダルシアとしか呼ばないが、昔は私をリルと呼んでいた」 「……ごめんなさい、嫌でしたか?」 「構わん。私を呼んでいると分かればそれでいい。……それと、愛称で呼ぶくらいならその口調もやめろ」 「……うん。分かった。じゃあ改めてよろしくね、リル!」  そうして二人は共に戦う相棒となった。天使の亡骸をカーペットにエリスレーデは無邪気に笑い、リーダルシアは俄かに頬を緩める。永遠の深淵の笑顔は、常に紅で彩られていた。
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