1章 天使と聖女

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1章 天使と聖女

「リル、おはよう」 「……ああ」  ディアスクラード、リーダルシアとエリスレーデが共に暮らす家。エリスレーデは一足早く起きていたリーダルシアに朝の挨拶をする。が、その返事の言葉は心ここに在らずといったものだった。おはようと返してくれないのはもういいとして、声色が少し暗かった気がする。例えばシェンリエットあたりがそれを聞いても「いつもと変わらねえじゃん」と言うであろう。それくらい些細な違いであったが、エリスレーデにとっては些細なことも見逃したくはなかった。そして目についたのは、リーダルシアが手に持つ紙だった。 「手紙? 誰からの?」 「父からだ。ひと月に一度来る。内容はいつも同じだが。早くアーデルシーダを……母を殺した天使を見つけ出して殺して持ってこい、と」 「……お母さん、アーデルシーダって名前なんだね。お父さんは……ヴァルドさん」  手紙を横から拝見したエリスレーデはリーダルシアの両親の名に注目し、それを音読する。 「……何だか、酷い手紙だね。普通は手紙って、最近はどんなことがありましたか、怪我や病気に気をつけてくださいね、とか相手を気遣う言葉があるものだけど、何にもない。先月の三十五匹は少なすぎる、天使を殺せ、お前はそのために存在している、仇を見つけろ……そんなに仇が欲しいなら、自分で戦って見つければいいのに。……安全な外野から文句だけ言うなんて、リルのお父さんって酷――」 「――黙れ」  リーダルシアは、側に置いていた武器をエリスレーデの首に向ける。その行動自体にも驚いたが、それ以上にエリスレーデが驚いたのはリーダルシアの表情だった。剣の鋒を見た後、さぞ恐ろしい冷酷な表情をしているのだろうとリーダルシアを見れば――焦燥、恐怖。命を脅かされている自分以上に荒い呼吸をして、汗を流し、窓の外を見てから、ようやくエリスレーデを睨みつける。 「黙れ、黙れ……! お前にお父様の何が分かる、お父様は世界で一番の存在だったお母様を亡くして、絶望して……! なのにお父様は凡庸な私に生きる意味をくれた、天使を狩ることこそが私の存在意義なのだと教えてくれた! 悪いのは期待に添えなかった私だ、頑張りが足りなかった……もっと殺さないと、私、私は……!」 「リル……大丈夫だよ。ここにお父さんはいないよ。誰も聞いてないし、見てない。だから、そんなこと言わなくていいんだよ」 「っ……」  涙さえ浮かべながら父を称賛し自分を卑下する言葉を捲し立てるリーダルシアに、エリスレーデは怒ることも怯えることもなく、ただいつもの調子でリーダルシアを言葉で包んだ。そうすればエリスレーデは徐々に普段の無表情に戻り、静かに武器を下ろす。 「……すまなかった。父を悪く言われると、頭が真っ白になる。武器を向けたこと、許さなくていい」 「いいよ、ディアスクラードは訳ありに荒くれ者の宝庫なんだから、一人くらい突然相方に武器を向けてくる人がいたっていいと思うわ」 「……それは気遣いだと、受け止めていいのか」 「……うん。私もごめんなさい。もうあなたのお父さんの話はしないね」 「……ああ」  二人、特にエリスレーデは何事も無かったかのように椅子に座り、パンを食べ、スープを飲む。そして食器を洗い身支度を整えてから一息つく。今日は休日だから、街の入り口の監視や事務仕事も無かった。 「ねえ、リル。どこかに出かけない?」 「いや、私は……」 「毎日鍛錬鍛錬じゃかえって良くないよ、たまには息抜きもしなきゃ。あっ、じゃあ買い出しをするから荷物持つの手伝ってくれないかな?」 「……分かった」  きっと何を言っても最終的には出かけることに持っていかれるだろう。彼女は意外と強情な一面がある。そう判断したリーダルシアは二言目で折れた。それに、先程の行動でエリスレーデに負い目を感じている分断りづらかったのだった。
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