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『ねぇ、リゼット。僕の事、お兄様って呼んでも良いんだよ』  リゼットがルヴィエ家の屋敷に来て暫く経ったある日、クロヴィスはそんな事を言い出した。 『?』  クロヴィスの意図が分からず、首を傾げる。 『ほら、リゼット。お兄様と呼んでごらん』  満面の笑みで手を広げるクロヴィスの腕の中に自ら飛び込み、ちょこんと収まった。 『クロヴィスさま』 『えっと……お兄様だよ、リゼット』 『クロヴィスさま!』 『あはは……』  苦笑して困り顔の彼がおかしくて、リゼットは声を出して笑った。 『ねぇ、リゼット。お兄様って……』 『はい、クロヴィス様』  それからも度々彼は頻りにお兄様と呼んで欲しいと言って来た。 『そんなに僕の事、お兄様って呼びたくないの?』 『クロヴィス様はクロヴィス様です』  彼の腕に抱かれながら、そう答えた。幼い頃から無意識に彼をお兄様と呼びたくなかった理由は今なら分かる。リゼットにとって彼は兄代わりなどではなく、愛する夫なのだ。でも彼は自分の事を歳の離れた妹くらいにしか思ってないのは悲しいくらいに分かっている。だからこそ意地でもお兄様なんて呼んであげないと密かに決めていた。 『お休み、リゼット』  何時も彼はリゼットを抱き締めたまま眠ってくれる。初めて屋敷に来た時からずっと……。リゼットは彼の腕の中で胸元から伝わってくる鼓動を聞くのが好きだ。温かくて、酷く安心をする。毎晩この腕の中に包まれる度に、自分の帰る場所はここなのだと実感出来た。彼がいてくれたら、何も怖いものなんてない。彼がいてくれたら、何も要らない。本当に幸せだった。 『リゼット、お土産だよ』  昔からクロヴィスは毎日の様にリゼットにお土産を持って帰って来てくれた。それは小さなお菓子だったり、ぬいぐるみや本、高価な装飾品だったりと様々だ。月に数回は必ず仕立て屋を呼びドレスを新調してくれて、あっという間にリゼットの部屋のクローゼットはドレスで埋め尽くされた。そんな彼にヨーナスやシーラも呆れ果てているが、リゼットは彼の気持ちが嬉しくて仕方がなかった。  だから学院に入学してからは、友人になったカトリーナやラファエル、レンブラントについクロヴィスの自慢話をしてしまう。カトリーナはそんなリゼットの話を何時も笑顔で聞いてくれた。甥であるレンブラントは、クロヴィスはリゼットを甘やかし過ぎだと何時も呆れて、仕舞いには説教をされた。  そんな穏やかで幸せな日々がこれから先もずっと続くとリゼットは信じて疑わなかった。だが、リゼットが十五歳の時にそんな幸せは脆くも崩れた。  クロヴィスがリゼットと離縁する。彼はリゼットの再婚相手を探している。しかも彼には愛する女性がいる……そんな残酷な現実を目の当たりにした。そして彼がやはりリゼットの事を妹くらいにしか思っていないのだと痛感した。  彼から愛する女性と結婚したいから自分がいると困ると告げられた時は、頭が真っ白になった。本当ならば、これまであんなにも大切にしてくれた彼の幸せを願わなくてはならないのに、心の狭い自分には出来そうにない。  ただ結局「離縁なんてしたくない」とは最後まで彼には言えなかった。  愛する彼をこれ以上困らせたくない。我儘を言って、彼に嫌われたくない。  カタカタと揺れる馬車の窓の外を眺めてながら、リゼットはこれまでの事を走馬灯の様に思い出していた。そして馬車はゆっくりと速度を落とし、程なくして止まった。
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