残酷な真実

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残酷な真実

ああ。 何度思い出しても本当に苦しい。 夢の中で私は無邪気に選んでいたのです。 その残酷な真実など知る術もないままに。 幼い私は全く知りませんでした。 人の命と言うもののカラクリを。 切り刻まれた肉体は、二度と元には戻らないことを。 心臓を取り出されてしまっては、その中にあった意識と呼ばれる存在は、体の中にとどまることができないことを。 そして、自分の選択が、目の前の青年の運命を決定づけていたことを。 幼い私は知らなかったのです。 神の声も太陽の声も私の耳には届いていませんでした。 だからどちらが勇敢なのか、どちらが神に選ばれたものなのか。 そんなことを判断できるはずもなく。 そう問われたとき、私の気まぐれで選んでいました。 いいえ、気まぐれというよりは、より美しい人、よりたくましい人、より親しい人を、笑顔で指差したのです。 ああ。 ごめんなさい。 その後、私に選ばれた彼どうなったのかを知りませんでした。 ですがあれは七歳の夏至のこと。 壇上に上げられた青年の一人は私の兄でした。彼を見た時から、私の答えは最初から決まっていたのです。 兄は私が呼びかけても、宙を見たままぼんやりしていて、何も答えませんでした。熱っぽい浮かれたような瞳をして、ぼんやりしていました。 いつもの兄と違っていたのですが、私の前に差し出される人間は大抵このような状態になるからと、気にしていませんでした。神官が、神を前にすると人は恍惚状態となるのだと教えていたからです。 私は神と言う存在が何なのかよくわからなかったけれども、私のことを人々が神の化身と呼んでいる事は知っていました。つまり私が神なのだと、どこかで思い込んでいたのです。 どちらが勇敢なのかと問われて私は、何の迷いもなくまっすぐに兄を指差しました。 この世で最も神に選ばれし人間。それは兄に決まっているのですから。 あの頃の私は、家族と共に暮らしてはおりませんでした。ピラミッドの奥にある丘の上に建てられた宮殿で暮らしていたのです。 母や姉、そして時には父や兄も,宮殿での私の世話役にやってくる事がありました。 ですがなかなか間近で会える機会は少なく、その時の私は、兄とこうして会えたことがとてもうれしかったのです。 その日は夏至でした。夏至の夜は、神の子も人々と共に祝う祭りに出ることを許されます。 夢の中の私は、広場で催されている祭りの会場へ行きました。そこで兄を探しましたが、どこにもいません。 私は母を見つけ兄はどこへ行ったのかと尋ねました。 母は泣きはらしており、真っ赤な瞳で一瞬私を睨みつけ、そしてそのまま泣き崩れてしまいました。 何故泣くのか問おうにも、母は屈強な男達の手により、そのままどこかに連れていかれてしまいました。 私は兄に会いたくて人混みの中を探し回りました。 私に神に選ばれたと宣言された時の、兄の気持ちを知りたいと思ったのです。 懸命に探し続けた私は、侍女がうっかり漏らした言葉から、兄の運命を知りました。 祭りの中央の祭壇に飾られている心臓。 あれは、兄の心臓であることを。 そう聞かされ、その生々しい心臓を見て気を失いました。 夢の中で私は神官に、もう神の代弁者になるのは嫌だと伝えていました。 「もう七歳。神の子としてのぎりぎりです」 「頃合いだな」 そんな会話を聞いた気がします。 「明日からは別の子どもを神の子にしよう」 神官の言葉にホッとしました。もう嘘をつかなくてもいい。もう誰も選ばなくていいのだと。 その後私は、自らが選んだたくさんの子どもたちを送った、聖なる泉に連れていかれました。 そこは神の世界に繋がる入り口であると教わっていました。 聖なる泉は崖の上にあり、下を覗くと、水面までの位置まではかなり深く、一度落ちたら最後、二度と登ってこれない高さでした。 死の本当の意味を知らないまま、私はその深い泉に飛び降りました。 神の子が行くべき場所だから、飛び込むようにと、神官に指示されたから。 冷たくてどこまでも透き通る水の中に沈みながら、息ができないことの恐ろしさを初めて知りました。 もがいても沈んでいく底には、たくさんの白い塊がありました。 あれが,かつて自分が選んだであろう子ども達の成れの果てであることも、その意味も分からずに、私は必死で遠のいていく水面に向かって手を伸ばしました。 苦しくて苦しくて苦しくて。 真っ暗な闇が押し寄せてくる。 絶望と息ができない恐怖が私の全てを包んでいきました。
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