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2044年5月21日土曜日。
ノアのメインコンピューターにウィルの採用が決定したあの日から、6年と8ヶ月が過ぎていた。
直径300mの巨大な球体構造のノアが、地球上に生存している全ての生命体のDNAを載せ、太西洋の深海へ向かってゆっくりと沈んでいった。
「ウィル、本当なら君があのノアのメインコンピューターとなるはずだったのだがな」
ソウイチは海上に作られたノア建造用施設のコントロール室から、ノアが沈んでいった海面を見下ろしている。
「博士、俺、地上に残れてホッとしてるよ。イブには悪いけど、深海で永遠に暮らすなんて俺には考えられない」
ソウイチが左を向くと、今年で7才になる少年の姿をしたウィルが、窓枠に手を掛けノアが沈んでいった海面を眺めていた。
「ははっ、そうだな。ウィルには無理だろうな」
ソウイチは笑いながら再びノアが沈んでいった海面へと目を向ける。
「無理じゃないよ!」
ウィルはそう言うよりも早く、ソウイチの視線を遮るように窓の外の空中に浮かんだ。
「僕は、それよりももっと世界中を飛び回りたいの!」
ウィルは窓ガラスを擦り抜け、ソウイチに顔を寄せると膨れっ面でそう言った。
「ウィル、あまり物理法則は無視してはいけないよ。人間の気持ちが分からなくなってしまうからね」
「いけねっ……」
ウィルは一瞬にして手の平サイズまで小さくなると、窓枠に飛び降り、その縁に腰を下ろした。
そんなウィルの姿が見えているのはソウイチだけだった。
ウィルの姿は、ソウイチが掛けているレチナビジョンというメガネから、ソウイチの網膜に直接照射された映像なのだ。
ウィルは、このレチナビジョンを通して、ソウイチの前では7才の無邪気な少年として振る舞っている。
かと言って、ウィルは少年の役を演じているわけではなく、むしろ7才の少年になりきって楽しんでいた。
「イブの奴、大丈夫かなぁ」
小さくなったウィルが窓枠に腰掛けて、足をブラブラさせながら独り言のように呟く。
本来ならウィルがノアのメインコンピューターになるはずだった。
しかし、アムノスからの要望により、ウィルの基本プログラムを元にした、新しい人工知能プログラム『イブ』が作られる事になったのだ。
そこで、ソウイチはアムノスに驚くべき提案を持ち掛けた。
それは、イブのプログラムをウィルに設計させるというものであった。
最初は半信半疑だったアムノスの技術者達であったが、実際にウィルが設計していく過程を見せられると、その緻密で完璧な設計に度肝を抜かれた。
ソウイチが既にプログラムしていたのではないかとも疑われたが、アムノスの技術者達の要求にも迅速に対応して設計を変更していくことから、ウィルに対する信頼は絶大なものになっていく。
最終的にはノア本体の設計まで、全てウィルが行う事になってしまったのである。
「博士、俺、次は地球の環境を再生する方法を探してみるよ」
窓枠に腰掛けて足をブラブラさせながら、何か物思いにふけっていたウィルはそう言って勢いよく立ち上がった。
「ほぅ」
ソウイチが窓枠に立っている手の平サイズのウィルに目を向けると、ウィルは床までの距離を見定め飛び降りる。
ウィルの姿は床に近付いていくほど大きくなっていき、床に着地した時には元のサイズに戻っていた。
「ダンッ!」
実体の無いウィルは床に着地した衝撃音を口真似で出す。
「博士、俺、地球で独りぼっちになるなんて絶対嫌だからね!」
ウィルは顔をしかめながらソウイチを見上げると、口を尖らせてそう言う。
「それは可哀相だな。ベソかいてるウィルの顔が浮かぶぞ」
ソウイチはウィルの顔を見ると、少しだけ意地悪な顔をして笑った。
「ち、違うよ!」
恥ずかしくなってしまったウィルは、何て答えたらいいのか分からなくなり、ソウイチの言葉を慌てて否定するのだった。
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