桜色のキャンバス

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病院のロビーで私を待っていたのは、年配の女性だった。その人は、この病院の看護師だった。 「裕也くんに、桜の絵を送ったのはあなたですよね」 女性は私に聞いた。 「裕也さん、という名前かは分かりません。でも、河川敷に出会った男の人に、桜の絵をプレゼントしました。あのインターネットの記事に載っていた写真の絵です」 「そうですか」 そう言った彼女の顔が、パッと明るくなった。 「会えて良かったです。ずっとあなたを探していたんです」 「え、ああ、はあ」 私はどう答えれば良いか分からなかった。私を探していた、とはどういうことか。そして、『裕也くん』と呼ばれる男性とはどういう関係なのか。分からないことだらけだった。 「裕也さん、というんですね。あの男性は今どうしているんですか」 私の言葉に彼女の表情が凍りつく。そして、悲しげな視線を下に向ける。 「裕也くんからは、何も聞かされてなかったんですね」 「はい。えっと、何かあったんですか」 「裕也くんは、先月、この病院で亡くなりました」 亡くなった。あの男性が。私はしばらく呆然とする。頭の中には、彼の少し痩せこけた顔が浮かぶ。 「去年の年末に入院して、余命は半年と言われていたんです。そして、ずっと塞ぎ込んでいました。窓から見る桜の景色を見ても、もう来年は見れないんだろうなって、そうつぶやいてました」 そうだったのか。知らなかった。またいつか会えるだろうと、軽い気持ちだったのだが、まさかそんな、重い病にかかっていたとは思いもしなかった。 「そんな中、裕也くんがあの絵をもらったと言ってました。とても嬉しそうでした。毎日その絵を見てました。亡くなるその日まで、ずっとその絵は病室に飾られていました」 私の絵を、ずっと飾っていた。その言葉に、胸の奥がポッと熱くなる。そんなに気に入ってくれたのだろうか。私が人生で初めて描いた桜の絵、それが、あの人の心の支えになっていたのだろうか。何も考えずに描いた絵だけど、そうであるなら、嬉しかった。 「そして、一つ相談があります。あの絵について、引き続き病院に置かせてもらえませんか」 彼女が、真剣な口調で言った。 「実は、他の患者さんからも人気があって、そのまま病院に置いてほしいと言われているんです。ただ、この絵を描いた人に許可を取る必要があるだろうと思って、困っていたんです。お願いです。あの絵を病院に置いたままにしていただけないでしょうか」 彼女が懇願するような目でこちらを見る。私はゴクリと唾を飲み込む。 私の絵が誰かに必要とされている。絵を描く人間として、それ以上の幸せはない。その女性の提案は、素直に嬉しかった。さらに、私の頭の中には、あるアイデアが浮かんでいた。 「もちろん構いません。私の絵を病院に置いておいてください」 「ありがとうございます。そう言っていただけて良かったです」 彼女はホッとした表情を見せる。 「私からも一つ、お願いがあるんです」 「はい。何でしょうか」 「実は……」 私は自分の考えを彼女に伝える。その瞬間、彼女の顔が、花開いたようにぱあっと明るくなった。
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