0.5人の空白

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0.5人の空白

 遠野さんが長期入院のため、退職した。 彼は障がい者雇用だった。この中堅スーパーの法定雇用率に0.5人分の空白が出来た。企業には障がい者を一定数雇う義務がある。雇用する従業員の人数に応じてその人数が決まる。人数を守れない場合は、他の法定雇用率を満たしている企業との整合性を取るために企業はお金を払わなければならない。  「障害者雇用納付金」は、障がい者の雇用促進と安定した就労継続のために使われる。また、障がい者の雇用に積極的な企業の奨励金などにも使われる。  店長の輪島亨は、0.5人分の空白をどうしたものかと考えあぐねていた。グロサリーという商品の品出しをする部門で働いていた遠野さん。チェッカーというレジ部門とグロサリーの両方の部門の兼任で働くパートの上山さんが、両替作業のために事務所にやってきた。 「お疲れ。上ちゃんさ、遠野さんのフォローよくしてくれてたよね。福祉系の学校に行ってた人ってやっぱ違うわ。教えるんじゃなくて一緒にやっていくっていうかさ」 「いや、大したことしてませんよ。誰にでもわかるように作業のマニュアルを作れば、遠野さんだけじゃなくみんなが便利じゃないですか。作業の標準化が出来て仕事もスムーズになる。それを一つ一つ一緒にやっていくだけなんで」 「だけなんでって、ついつい上から教えるモードになるんだよな、俺とかみんなは。でさぁ、障がいのある人の法定雇用率って知ってる?」 「ハイ、もちろん。社福の試験でよく出ます」 「しゃふく?何だっけ、それ」 「社会福祉士という相談支援資格の国家試験です。馬鹿だから見事に落ちて就職は普通の販売営業。結婚してからは転勤族なのにパートでこの店に拾って貰って有難い限りです」 「馬鹿って、馬鹿じゃ営業は出来ないでしょ。遠野さんが長期入院で辞めて0.5人分の空白が出来た。どうしたらいいと思う?専用の募集を出してもなかなか人は見つからないし」 上山は両替作業の手を一瞬だけ止めた。両替金のチェックシートをじっと見て動かない。 店長の輪島は、パートさんに重すぎる相談をしてしまったと後悔した。気まずい沈黙だ。 釣り銭の棒金が机に置かれる。ゴトンと鈍い音した。 「0.5人の空白、もし私で良ければ埋めます。手帳持ってるんです、実は。金銭を扱ったりお客様と接する機会が多いチェッカーに入れなくなっても、お店の仕事は出来ますよね」 思いもよらない告白に輪島は二の句が継げなかった。 (上山さんが障がい者?どこが?) 驚いた輪島は「ごめん」の「ご」を言おうとした、開いた口が閉じられない。 上山は深く一礼する。 「隠していて申し訳ありませんでした。本来なら解雇モノですよね。0.5人分の空白を埋めることで解雇は帳消しになりませんか」 向き直った上山は交渉人の目をしていた。 家電量販店で男に混じり、口八丁手八丁、立て板に水の口上で売上成績のトップ争いをしていた、それを聞いたときは妙に納得した。 チェッカーやグロサリーの仕事をさせてもテキパキと明るく、お客様の懐にするっと入っていく。季節商品の売上は社員と並ぶほどの実績を叩き出す。 不細工だが、よく笑う愛想の良い女性だ。お客様の話をよく聞いて相づちを打ち、いつも楽しそうにしている。 おせち、恵方巻、母の日、父の日、お中元、お歳暮、この人が立てる売上を失うのは惜しい。 ただ、突然の欠勤が三ヶ月に一度くらいはあった。欠勤の翌日はいつもとは別人のような青い幽霊のような顔にか細い声で「いらっしゃいませ」と言っている彼女をふと思い出した。 女性だからてっきり月のアレだと思い、そっとしておいたのに。 見事に騙された。この女は相当したたかだ。 でも、困っている人を放り出せない情があるのかもしれない。わざわざ言わなければ障がい者雇用に回されることもないのに。 しかし、普通のパートで働いていたのに障がい者雇用に移行となると、海千山千の古参のお局パートが黙っていないだろう。なぜ隠していたのかといじめやパワハラに繋がりかねない。 「上ちゃん、今の話は聞かなかった事にする。今まで通り働いて。普通のパートから障がい枠は前例がない。事務処理のやり方とか誰もわかんないしさ」 店長の輪島は上山に微笑み掛けた。上山は輪島に笑顔で答える。 「申請書類なら、調べればたぶん私でも書けますよ。社会福祉士は落ちましたけど卒業だけで貰える社会福祉主事は持ってます。もしも0.5人の事で困ったらいつでもおっしゃってください。ミイラ取りがミイラになった。福祉の業界で働けませんけど役に立つこともありそう」 少し寂しそうに自虐的に笑う上山。 輪島は、メビウスのボックス3ミリを一本出して、上山に渡す。 「ありがとう、心強い。気持ちだけ貰っておくわ。福祉の資格はよくわからんけどさ、上ちゃんは人と接する仕事に向いてる。俺よりいい商売人だと思う」 輪島と上山は、煙草で和やかに一服していた。 事務所の陰で、品出し用のプラスチックのパレットがメキメキっと破壊される音がする。その音に二人は気づかなかった。 古参お局パートの川崎さんが、物陰から二人を睨み付けていた。
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