告げ口

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告げ口

 社長面談に急に呼ばれた上山は、心当たりがあった。店長の輪島との会話を誰かが聞いていて、社長にチクったに違いない。 (チンコロめ、覚えとけよ畜生) 心の中の悪態をおくびにも出さず、目に涙を溜めて涙の粒を下まぶたの縁に留める。上目遣いで社長を見上げる。 「いや、辞めてほしいとは言わない。ただ、偶然聞いてしまった人がいる以上…。けじめが必要なんだよ。君が普通に働いているから誰も気づかなかった。ただ、会社としても0.5人の穴埋めをしてくれるというその気持ちが嬉しい。雇用切り替えの申請までやろうとすれば出来るなら、その申請書類まで頼みたい」 上山は心とは裏腹の救われたような晴れやかな笑みを浮かべて、溜めておいた涙をこのタイミングだとばかりに流した。 「ありがとうございます。クビだと言われるもだとばかり。これからも頑張って働きます」 上山の演技に気づかない社長は、カッパ禿げの頭をポリポリとかいて呟く。 「ただのパートのスーパーの仕事をこんなに一生懸命やってくれる。輪島が言ってたそうだが、君は本当にいい商売人だ。足りないなら自分の手帳を使ってくれなんて、義理人情に厚くて泣かせるじゃないか。うちみたいな中小は、障害者雇用納付金を支払うのも難儀する。これからもよろしくな」 社長の面談を無事切り抜けた上山は、売り場に戻る道すがらチクり魔の心当たりを探していた。あの日のシフトを思い出す。一人だけ思い当たる節があった。長期入院で辞める事になった遠野さんを、辞めさせる方にイビっていたグロサリー部門の底意地の悪いお局の川崎。 遠野さんと川崎さん、二人の間を「まあまあ」と何度とりなしたことか。上山は記憶を辿りながら溜め息をついた。 「ここは介護施設じゃない、職場なのよ。手取り足取り教えなきゃ出来ないなんて、辞めればいいのに」 川崎の鼻に掛けた喋り方を思い出す。 遠野さんは凍りついた表情で俯いてしまった。 (言っていいことと悪いことがあんだろ!このクソアマ!) 怒鳴りたい欲求を堪えて、あのとき上山は川崎に丁寧に底意地の悪い笑顔で切り返した。 「ここはお客様もいらっしゃる売り場です。接客に相応しい言葉とは思えません。川崎さん、私と一緒でそろそろ更年期ですか?感情の制御が難しいようでしたら、当帰芍薬散が効きますよ。私も飲んでるんですけどね。人を傷つける発言は止めてください」 ハブとマングースの睨み合い。 目を逸らした方が負け。 メンチを切ると上山はレディース時代を思い出す。歌手の相川七瀬に憧れて特攻服を作って仲間とバイクを乗り回していたっけ。 川崎…。こいつも同じ目をしてる。 スカートが長いスケバン世代VSミニスカにルーズソックスのヤンキー世代。二つの世代を代表するメンチ切り合戦は上山が勝った。 背が170cmある上山に、背丈155cmの川崎はタッパの迫力に飲まれて負けた。 「優等生ぶってもあんたの本性見えてるから」 川崎は捨て台詞を吐いて逃げた。 押し黙っていた遠野さんが上山を見て、 「すみません…ありがとうございます…。落ち込むと頭がボーッとして、覚えが悪くて」 消え入るような声で謝った。上山はついうっかりしたフリをして、 「私もだから。合う薬が見つかれば昼間の眠気も改善されるよ、きっと。今の内緒にしてね」 ヘヘッと笑って見せた。遠野さんは「マジで?」とでも言いたそうな、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で立ち尽くしてる。 「じゃ、続きね。パッケージは正面を向けるんだ。正面の向きはここ。これは、画像入りで事務所のパソコン使ってプリントアウトしてみたんだ。分かりにくいところあるかな?」 遠野さんはマニュアルを読みながら、一つ一つ品出しの手順を覚えていく。遠野さんはまだ三十代前半。四十代の上山よりずっと若い。 (きっと大丈夫だよ。私も少しずつ少しずつ前に進んできたから) 心の中で上山はエールを送る。 遠野さんは真面目で几帳面だった。 頑張り過ぎて疲れて入院してしまったけど、物腰柔らかで大人しく、優しい男性だった。 川崎がイビって彼を追い出したようなもの。 上山は許せない気持ちが込み上げる。 (さて、川崎よ。メンチ切りでビビって負けるようなあんたに私が負けるとでも?チクってご満悦だろうが後悔させてやるよ、必ずな) 上山は覚悟を決めた。
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