幼稚なイビり

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幼稚なイビり

 一般就労から障害者雇用に切り替わった上山を待っていたのは、小学校高学年女子並みのくだらないイビりだった。 ロッカー室で着替えをしているとお局の川崎が露骨に避ける。 「頭の障害なんだって。包丁振り回すかもよ、怖ーい。みんな逃げよー」 音頭取りの川崎に釣られて、パートの女性陣は上山を避ける。川崎の小判鮫の山田が合いの手を入れる。 「障害あるのに隠して高い給料せしめてたんだよ、狡い」 仕方なく頷く大人しいパートの女性陣達。上山は聞こえないフリをして着替えを済ませると、くるりと振り返る。 「陳腐な台詞ですね。便利なスマホで障がいについて軽く検索するくらいしたらどうですか?頭を使わないと認知症になりますよ」 何事もなかったように売り場へと歩みを進める。そのときの上山は気付きもしなかった。 「陳腐な台詞」という言葉が、語彙力不足の人間にどう聞こえたか。 一日の仕事を終えると、上山の毒舌な切り返しは、尾ひれがついて見事な金のシャチホコのようなでたらめな噂話が出来上がっていた。「店長と下半身の関係がある」という荒唐無稽な話にすり替わっていた。 語彙力不足の人間には「陳腐」が男性の下半身に聞こえたらしい。実にくだらねえオチがついていた。 馬鹿馬鹿しくて相手にする気にもなれない。 淡々と飄々と働き続ける上山に対して、川崎はあらゆる挑発を仕掛けてきた。 小学校高学年女子並みの幼稚なイビりに付き合うのも疲れるので放っておいた。 「店長の愛人だから特別枠~。もしかして社長とも?泣いてすがってクビにならなかった?」 川崎の挑発の矛先は店長の輪島にまで向いた。自分の事を悪く言われる分には「くだらねえ」と流せる。お世話になってる上司まで巻き添えにする、下衆な川崎が許せない。 (てめぇ、ヤンキー失格じゃねぇか。ヤンキーなら上の人間は立てろや) 上山はヤンキー魂を抑えて、大学の福祉学部の心理学の授業で習った小話を披露する。 「浮気をしていると他人にカマを掛ける人は、自分が浮気をしているか、浮気したいという願望があるか、パートナーに浮気をされるのを極度に恐れて怯えているか。この3つのいずれかに分類されます。臨床心理学では有名な話ですけど、川崎さん。ご自分に何か心当たりがあるんじゃないですか?」 川崎の黒目が一瞬横に泳ぐ。 やっぱり、ビンゴか。 静まり返る職場の休憩室。 ここで、聞きたくなくても勝手に流れてきた今までの職場の噂話を総合して、ある仮説でハッタリをかます。 「鮮魚の菊池さんと仲がよろしいと他の方からお聞きしましたが、川崎さん。もしもこの噂話が本当ならばのお話ですが、ご主人とはどうされるんですか?」 川崎の小判鮫の山田がひゅっと息を飲む音が響く。川崎はむきになって言い返してくる。 「頭のおかしい障害者が言い掛かりつけてきた!みんなこんなのと一緒に働きたくないよねぇ」 川崎は指差して上山を嘲笑う。 小判鮫の山田も笑うに笑えない、同調出来ないほどの暴言。 上山はエプロンの下の制服のシャツの胸ポケットに手をそっと宛てて、ニヤリと笑う。 「そうですか。それは残念ですね」 上山はその日は着替えずに制服のまま職場を退勤した。 小型バイクで向かったのは川崎の自宅。先回りして張り込みだ。 ママチャリを漕いで帰宅してきた川崎をアパートの入口付近で待ち構える上山。 「なんでいるのよ、ストーカー!警察呼ぶわよ!」 川崎は腰が引けていて、自転車を盾に隠れようとしている。 「どうぞ。私も丁度警察に用があるので」 上山は、遠野さんが辞めた次の日から今までの隠し録音の記録を順に再生して見せた。 唇が醜いナメクジのように震える川崎。少ない知恵を必死に絞って何か閃いたらしい。 「か、隠して撮った録音は証拠にならない、知らないの?」 ドヤ顔で笑う川崎に上山は冷淡に返す。 「秘書への暴言で辞職した議員がいましたね。パワハラの証拠に使う場合は有効になります」 言葉のナイフで川崎の喉笛を切りつける。 地団駄を踏んで川崎は絶叫する。 「テメエだって私が浮気してるとか因縁つけてきただろうが!」 ようやくヤンキー、いや川崎の年代はスケバンの本性を現した。 「もしもこの噂話が本当ならばと仮定のお話をしたまでです。こういう不毛な争いはもう止めましょう。労基に持ち込みたくないんで、無駄口叩かずに黙って仕事してくれませんか」 目だけはしっかりメンチを切って上山は川崎を見下ろす。170cmの上山VS155cmの川崎。勝敗はメンチを切る前から見えていた。 「わ、わかったわよ。私、意外と優しいのよ。姐御肌だし」 狼狽える川崎に背を向けた上山は、フッと煙草の煙でも吐き出すように笑って告げる。 「これからもよろしくお願いしますよ、川崎姐さん。昔ながらのタイマン勝負より録音が効くってあるお方をテレビで見て気づいたんです。平和にいきましょうよ」 川崎は天を仰いで、「あちゃー負けたか」という顔をしていた。 それからの川崎はうってかわって大人しくなった。上山の手が制服のシャツの胸ポケットに伸びる度にびくびくしていた。あのパワハラの証拠の録音が怖いのだろう。 健常者のペルソナを脱ぎ捨てた上山は、したたかに小狡く、でも思いやりだけは持って生きていこうと決めた。 職場のみんなを三年間騙し通した罪悪感があるので、川崎を労基にチクるのは止めだ。 (チンコロは自分も嫌いなんでね) 潮麗というレディースの副をやってた頃が懐かしい。潮麗の頭の綾の懐刀といえば幸(さち)だった。揃いの特攻服に改造マフラーのバイク。カラオケで熱唱するのは憧れの姐御の相川七瀬。 「仲間は裏切るな」 頭の綾のドスの効いた掛け声が脳裏に過る。 (みんな元気?元族だってうちの職場は一人しか気づいてないよ。グレた次は病んで、クソダセエ人生。でもさ、騙しの才能はあってもまともな商売人してるから) 潮麗の仲間の顔を一人一人思い出していく。 夜中の国道をバイクでかっ飛ばし続けた夜は学校では知れない大切なことを教えてくれた。仲間を大切にする、目上の人は立てる、義理人情を忘れない。 『唯我独尊 されど情けを忘れるな』 真っ赤な特攻服に金色の刺繍で刻んだ文字は今も私を支えてくれる。 (了)
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