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「洗濯……こんな遅くに……お疲れ様です」
「いえ。君こそ……その、なんていうか……大変、そうだね」
まごつく男は洗濯物片手に天を仰いだ。つられて見上げた空には凍てつくような氷輪が輝き、青白い光を放っている。完全な円になる一歩手前の月を拝む頬に記された涙痕が冷たい。無垢な、それでいて容赦のない月光に晒されているうちに、荒れた心が静まってきた。
「俺、301号室の唯藤です。洗濯の邪魔してすみません」
帰ろう――唐突に決意して立ち上がると、足元がぐらついた。酒と寒さでかじかんだ体は、予想以上に言うことを聞かない。
ぼてん、と、間の抜けた音の正体を知るまでに少しの時間を要した。奈柘の上腕をつかんだ男の力は強く、彼の体温が遅れて伝わる。真方の手を離れたランドリーバッグは哀れにも横倒しになっていた。
「大丈夫」
すぐ先にある真方の顔は、まっすぐに奈柘に向けられていた。
「大丈夫だから。そんな風に、感情を吐露できるうちは、大丈夫。できれば……こんな場所じゃなくて、誰かに聞いてもらう方がベターだけど」
「無理ですよ。ゲイの失恋話なんて」
鼻先がつかんばかりの位置で微笑むと、真方はうろたえて瞳を逸らした。いまさら、取り繕うこともできまい。人の好い通りすがりの男はだが、奈柘の腕をつかんだままである。
「僕で、よければ」
横を向いたままの真方に無言で続きを促す。僕でよければ君を抱いてあげるよ――脳内で勝手に加工した台詞に噴き出しそうになる。
「僕でよければ……教えて、ほしい」
「だから、俺はゲイですよ」
忠告したつもりだが、真方は生真面目に頷いた。
「僕は、色恋とは無縁の人間だ。だから、知りたい。そんな風に、泣いたり、怒ったり……誰かのためにできるのは、どんな気持ちなのか」
知りたい。
ぽつりと落ちた真方の声は、冷え切った奈柘の心に小さく熱を灯した。
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