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「……廊下、濡らしちゃったな」
「……あとで、ちゃんと拭きましょう」
キスの後とは思えぬ現実的な会話を交わすと、二人は頷き合った。階段を一段下りるたびに耳障りな水音が響き渡る。三階に着いてすぐが奈柘の部屋・301号室だ。当然のように突き当りの自室を目指そうと廊下を直進しかけた真方のシャツをわっしとつかむ。
きょとんと振り向いた彼に軽く苛立ったが、恋愛初心者なのだからと諦め、寛容な態度を心がける。
「まだ…………離れたくない、です」
二人の部屋は同じ三階の端と端、つまりは目と鼻の先だ。
全身びしょ濡れという非常事態とはいえ、とりあえずは自分の部屋に一旦は戻るのが自然である。
恋にはそんな理屈は通じないのだ……真方の着替えを用意しながら、奈柘はそう断言した。
(真方さんが自分の部屋まで歩けば、その分、拭き掃除の範囲も広がっちゃうし!)
幾分か弱まった雨脚のかわりに、柔らかなシャワーの音が部屋に満ちる。自分の部屋なのに落ち着かず、うろうろと歩き回る……といっても1LDKなので大した広さはない。
(落ち着け、俺。シャワーを貸しているからといって、それがなんだ? 雨に濡れた人に親切心で勧めた、それだけだ。よくあるだろ、ほら。行き倒れの旅人を自宅に上げて、それがじつは人じゃなくて鶴とか地蔵だったりして。後から小判とか米とか思いがけない幸運に恵まれるヤツ)
冷静さを失った青二才は、現状把握に努めるどころか昔話と混同する始末である。しかも、内容が取っ散らかっている。
そうこうしているうちに、洗面所のドアが開いた。
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