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部屋に戻った奈柘は、電気もつけずに居間に座り、もらった柑橘の皮を剥いた。
「ん、甘い」
思ったより皮が薄く、みかんと同じ方法で簡単に剥けた。粒に弾力があり、甘味も酸味も濃く、たちまちに広がった香りが瑞々しい。口内に残る薄皮を咀嚼しながら、カーテンを開け放した窓の向こうに広がる空を見つめる。先ほどまで、真方と並んで見上げた空はすっかりと暮れて、いまにも藍色に支配されそうだった。
(どういうつもりだ? 俺)
自問にしては随分と緩やかな口調は、答えなど求めてはいない。べろんと広がった掌の柑橘の皮を見るでもなく眺め、とうに失われた真方の温もりを思い出す。
土曜の夕方、屋上で顔を合わせることは、『二人の日課』となっている。
傍から見れば、洗濯のタイミングが合っている住人同士というだけだが(奈柘は乾いた洗濯を取りこみ、真方は干すという真逆の行為ではあるが)、お互いが意識して取っている行動だと確信できた。
(あの人、元は夜に干す派だったし)
それに、と、続けた声につい心が停止する。それに、俺は……なぞろうとした本心は曖昧で、次第に色を失い霧消した。
(いいじゃん、べつに。嫌なわけじゃなし。屋上は洗濯を干す場所! 真方さんは気の合う洗濯仲間! ただ、それだけ。そう思えば、あの日のことも……)
あの日。
薄闇に沈む部屋でそっと瞳を閉じると、真方と初めて出会った時の光景がゆらりと蘇った。
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