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あの日――それは、二ヶ月ほど前の二月中旬に遡る。
すべては、奈柘の恋人・望の告白から始まった。
「本社に異動することになった。遠距離恋愛は無理だから、別れたい」
高校で出会った交際五年目の恋人は、玄関に突っ立った状態でハッキリと言い切った。年上の望は社会人四年目で、電車で十分ほど先にある隣町に住んでいる。会うのは一ヶ月ぶり、最近は電話もメールも途絶えがちという状況での久々の逢瀬は、波乱の幕開けである。
別れの予感を『倦怠期』という便利な単語で誤魔化していた奈柘は、うろたえる暇もなかった。
「わかった」
反射的に口にはしたものの、頭は真っ白だ。恋人の少しだけ色褪せた革靴の爪先に目を落とす。
(会って数秒しか経ってねえぞ。部屋に上がると帰りにくくなるから、玄関先で済ませよう、ってか……この野郎……)
燃え盛りそうな怒りはだが、すぐに鎮火されてしまった。胸に湧くのは、彼との出会いや、煩悶した片想いの日々、そして、恋人として過ごした甘い時間だけだった。ゲイであることをひた隠しに、普通を常に意識して生きてきた奈柘にとって、彼は初めての恋人だった。お互い時間をやりくりして、世間には大っぴらにできなくても、二人でいれば幸せだった。少なくとも、奈柘は。
「結婚するんだ」
「へ?」
間の抜けた反応を示す奈柘に、望は困ったような微笑で応じて言葉を切った。自分は選ぶ立場にあるとでも言いたげな、余裕ぶった笑いだ。
「職場に新しく入ってきたコがいるって話したろ? 仕事を教えているうちに、なんか気が合うなって。気づけば、さ」
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